自然災害伝承碑

自然災害伝承碑 代表事例(江戸期の自然災害)

代表事例について

本ページの代表事例は、公開された自然災害伝承碑のうち、人的被害が数十名以上となった自然災害であることや広域で発生した自然災害であること等の観点を考慮し、抽出したものです。

江戸期の自然災害

慶長会津地震 (1611年9月27日)

大杉山村慶長地震遭難者供養塔  地理院地図でみる
大杉山村慶長地震遭難者供養塔の写真
災害種別 土砂災害・地震
建立年 1752
所在地 福島県耶麻郡西会津町下谷字如法房
伝承内容 慶長16年(1611)9月27日(旧暦8月21日)昼、会津地方を大地震が襲った。この地震により、飯谷山で大規模な地すべりが発生して山麓の大杉山村が土砂に埋まってしまい、100名を超える人々が亡くなった。

ページトップに戻る

慶長三陸地震 (1611年12月2日)

一本柳の跡  地理院地図でみる
一本柳の跡の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1989
所在地 岩手県宮古市田の神一丁目
伝承内容 「江戸時代、宮古に大被害を与えたヨダ(津波)があり、山口川を逆流した波に乗ってここにあった柳の大木に舟が留まった」との言い伝えを刻む碑。慶長16年10月28日(1611年12月2日)の慶長三陸地震の大津波と言われている。

ページトップに戻る

寛文大地震 (外所地震) (1662年10月31日)

外所地震供養碑  地理院地図でみる
外所地震供養碑の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1701
所在地 宮崎県宮崎市大字熊野1321
伝承内容 寛文2年9月20日(1662年10月31日)午前0時、日向灘を震源とした外所(とんどころ)地震が発生し、死者200名、家屋全壊3800戸の甚大な被害が出た。当地ではこの地震による地盤沈降と津波により家屋246戸が海に没し、水死者15人の被害に見舞われた。ほぼ50年ごとに新たな碑が建立されている。

ページトップに戻る

延宝房総沖地震 (1677年11月4日)

延宝の津波供養塔  地理院地図でみる
延宝の津波供養塔の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1694
所在地 千葉県長生郡一宮町東浪見4738
伝承内容 延宝5年10月9日(1677年11月4日)に発生した延宝房総沖地震により津波が発生、現在の宮城県から静岡県伊豆東海岸までを襲った。この津波により東浪見地区では流された家屋は数知れず、143名の命が奪われた。

ページトップに戻る

元禄地震 (1703年12月31日)

千人塚(元禄大津波供養碑)  地理院地図でみる
千人塚(元禄大津波供養碑)の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1709
所在地 千葉県山武市松ヶ谷字南川端
伝承内容 元禄16年11月23日(1703年12月31日)に武蔵・相模・安房・上総を巨大地震が襲い、高さ4-8mの大津波が各地沿岸に襲来した。九十九里沿岸では五千人以上の死者を出すなど、悲惨な被害を受けたといわれる。沿岸各地に建立された供養碑のひとつであり、地蔵尊台座に由来が刻まれている。

元禄地震に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
元禄津波の碑 千葉県大網白里市北今泉2464 地理院地図で見る
津波供養塔 千葉県山武郡九十九里町真亀2448(浄泰寺) 地理院地図で見る
不動堂元禄津波供養塔 千葉県山武郡九十九里町不動堂365 地理院地図で見る
溺鬼(でっき)供養塔 千葉県山武郡九十九里町片貝3601 地理院地図で見る
元禄津波供養碑 千葉県長生郡長生村一松丙301(本興寺墓地) 地理院地図で見る
元禄地震津波供養塔(行蓮寺) 静岡県伊東市宇佐美(行蓮寺) 地理院地図で見る
元禄地震津波供養塔(仏現寺) 静岡県伊東市物見が丘(仏現寺) 地理院地図で見る
元禄地震津波供養塔(恵鏡院) 静岡県伊東市川奈(恵鏡院) 地理院地図で見る

ページトップに戻る

宝永地震 (1707年10月28日)

宝永津波供養碑(馬越墓地の三界萬霊碑)  地理院地図でみる
宝永津波供養碑(馬越墓地の三界萬霊碑)の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1713
所在地 三重県尾鷲市北浦町1520番
伝承内容 宝永4年10月4日(1707年10月28日)に発生した宝永地震により東南海道一帯に津波が押し寄せた。このとき尾鷲浦においても、栢町(現・栄町)まで波が逆のぼり、人家半数が流失した。碑には、尾鷲は三方を海に面し背後は山であったため津波から逃げられず、全ての人々が波にのまれ、1000人余りが溺死、遺体が山のように積み上がった、などの惨状が記されている。

「高波溺死霊魂之墓」碑  地理院地図でみる
「高波溺死霊魂之墓」碑の写真
災害種別 津波
建立年 1719
所在地 和歌山県日高郡印南町印南2259
伝承内容 宝永4年10月4日(1707年10月28日)午後0時半ごろ大地震があり、山が崩れ、地が裂けた。午後1時半ごろ、でこぼことした津波が、海から揚がって来た。家財や牛馬はもちろん、老いた人や若い人、男や女も溺れて亡くなった人は170人を超えるぐらいである。津波の高さは札之辻で約180cm、この碑の場所で約60cmに達し、現在の大字山口との境まで到達した。

三界萬霊等(大善寺地蔵台座)  地理院地図でみる
三界萬霊等(大善寺地蔵台座)の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1739
所在地 高知県須崎市西町1
伝承内容 宝永4年10月4日(1707年10月28日)の大地震で、大津波が岡をさかのぼり、津波による被害があちこちであった。旧須崎村もしばらく荒れ地と化した。溺死者は330人以上に及んだ。

宝永地震に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
浅間神社改築記念 千葉県旭市平松 地理院地図で見る
遊木の(嘉永の)津浪供養碑 三重県熊野市遊木町光明寺境内 地理院地図で見る
宝永地震津浪の記 三重県熊野市新鹿町 市道新鹿停車場線沿い 天理教新鹿分教会北側石垣内 地理院地図で見る
三界萬霊 三重県度会郡南伊勢町古和浦 地理院地図で見る
津波流死塔(宝永4年) 三重県北牟婁郡紀北町長島(佛光寺) 地理院地図で見る
津波の碑 三重県北牟婁郡紀北町引本浦(吉祥院) 地理院地図で見る
津波の碑 和歌山県田辺市新庄町 地理院地図で見る
感恩碑 和歌山県有田郡広川町広(広村堤防内) 地理院地図で見る
寶永津浪溺死之塚 高知県須崎市須崎 地理院地図で見る
宝永地震潮位碑 高知県宿毛市大島 地理院地図で見る
清水中浜峠池家墓碑 高知県土佐清水市中浜 地理院地図で見る
久礼熊野神社伝承碑 高知県高岡郡中土佐町久礼 地理院地図で見る
宝永地震伝承碑(原) 高知県高岡郡佐川町黒原 地理院地図で見る
宝永地震伝承碑(柴尾) 高知県高岡郡越知町柴尾 地理院地図で見る
大地震・大津波の碑 大分県佐伯市米水津大字浦代浦480番地 地理院地図で見る
井替川改修記念碑 宮崎県延岡市下伊形町 地理院地図で見る

ページトップに戻る

未(ひつじ)の満水 (1715年7月18日)

前亡後死三界万霊塔  地理院地図でみる
前亡後死三界万霊塔の写真
災害種別 洪水・土砂災害
建立年 不明
所在地 長野県下伊那郡高森町下市田
伝承内容 正徳5年6月17日(1715年7月17日)から降り始めた雨は、18日夜明けから膝を並べて話す声が聞こえないほどの大雨となった。高森町では大島川から流れ出た土石流が天竜川をせき止め、濁流は4km上流の竜の口まで満ち溢れ、諏訪湖のような満水(洪水)となった。

ページトップに戻る

享保11年女神川洪水 (1726年4月1日)

享保11年山崩れ・水害100年災害供養碑  地理院地図でみる
享保11年山崩れ・水害100年災害供養碑の写真
災害種別 洪水・土砂災害
建立年 1825
所在地 福井県勝山市猪野口
伝承内容 享保11年2月29日(1726年4月1日)、豪雨と雪解けにより女神川上流で発生した山崩れが下流の集落を襲い死者99名を発生させた。この洪水氾濫災害から100年経過を記念して文政8年(1825)に、慰霊碑が建てられた。

享保11年女神川洪水に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
享保11年女神川洪水200年災害供養碑 福井県勝山市猪野口 地理院地図で見る

ページトップに戻る

寛保津波 (1741年8月29日)

光明寺寛保津波の碑  地理院地図でみる
光明寺寛保津波の碑の写真
災害種別 津波・火山災害
建立年 1742
所在地 北海道松前郡松前町字建石7番地(光明寺)
伝承内容 寛保元年7月16日(1741年8月26日)、大島(渡島大島)が突然噴火し、同19日(同29日)早朝に大津波が襲来した。この津波によって松前弁天島から旧熊石村(現八雲町)まで被害を受け、溺死者は総数1467名、流失倒壊家屋は791戸に及んだ。

寛保津波に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
泉龍院寛保津波の碑 北海道松前郡松前町字江良435番地(泉龍院) 地理院地図で見る

ページトップに戻る

寛保2年の大洪水(戌の満水) (1742年8月30日)

寛保洪水位磨崖標  地理院地図でみる
寛保洪水位磨崖標の写真
災害種別 洪水
建立年 1742
所在地 埼玉県秩父郡長瀞町大字野上下郷1010付近
伝承内容 寛保2年(1742)、4昼夜降り続いた豪雨により荒川が氾濫し、この付近一帯はことごとく水没した。
後日、地元の有志2人が当時の水位を岩肌に「水」の文字で刻んだ。そのほかにも文字が刻まれていたが、現在は大きい「水」の字以外は判読が困難である。

三界萬霊有縁無縁流死聖霊塔(戌の満水供養塔)  地理院地図でみる
三界萬霊有縁無縁流死聖霊塔(戌の満水供養塔)の写真
災害種別 洪水・土砂災害
建立年 1754
所在地 長野県小諸市六供2-258-1(六供無縁堂)
伝承内容 寛保2年8月1日(1742年8月30日)、7月28日から降り続いた雨により、中沢川で土石流が発生した。土石流は六供、本町、田町、袋町などの城下町を呑み込み、小諸城まで押し寄せた。被害は甚大で、200棟以上の町屋や侍屋敷、城門を押し流し、507名の死者を出した。

ページトップに戻る

明和大津波 (1771年4月24日)

乾隆三十六年大波の碑  地理院地図でみる
乾隆三十六年大波の碑の写真
災害種別 地震・津波
建立年 不明
所在地 沖縄県宮古島市下地与那覇前原839番地1
伝承内容 明和8年(乾隆36)3月10日(1771年4月24日)、石垣島南東沖を震源とする地震が発生した。大津波が宮古・八重山両列島を襲い、多良間、水納を含む宮古の死者2548人との記録がある。宮古島南岸の被害が特に甚大で、犠牲者の多くが前浜に流れ着き、その遺体は前山に合葬された。

明和大津波遭難者慰霊之塔  地理院地図でみる
明和大津波遭難者慰霊之塔の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1983
所在地 沖縄県石垣市字宮良689
伝承内容 明和大津波は1771年(明和8年)、石垣島南東沖を震源とするマグニチュード7.4の地震による大津波で、先島諸島に甚大な被害をもたらした。津波に襲われた八重山諸島では死者・行方不明者が9313人にのぼった。

ページトップに戻る

桜島安永噴火 (1779年11月8日)

桜島焼亡塔  地理院地図でみる
桜島焼亡塔の写真
※この写真の二次利用は、垂水市への利用申請が必要です。
掲載市区町村一覧および写真の二次利用についてをご覧ください。
災害種別 火山災害
建立年 1781
所在地 鹿児島県垂水市海潟651
伝承内容 安永8年(1779)10月1日、桜島が大爆発し、噴石等により157人が死亡した。『一刻もはやく人々を避難させよ。さもないと、噴火の火はこの世を壊滅させてしまうだろう』と漢詩が刻まれている。

ページトップに戻る

天明3年浅間山噴火・天明泥流 (1783年8月5日)

大笹駅浅間碑(蜀山人の浅間やけ碑)  地理院地図でみる
大笹駅浅間碑(蜀山人の浅間やけ碑)の写真
災害種別 火山災害
建立年 1816
所在地 群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原(鬼押出し園内)
伝承内容 浅間山の噴火の影響で、天明3年7月5日(1783年8月2日)から7月8日(旧暦)まで、火山灰や岩屑なだれが麓の村々を襲った。岩屑なだれは約20km先の吾妻川に流れ込むと大泥流となり、住民、人家、山林、田んぼ等に大きな被害を与えた。

供養塔  地理院地図でみる
供養塔の写真
災害種別 火山災害
建立年 1784
所在地 群馬県前橋市総社町植野(元景寺)
伝承内容 浅間山は天明3年4月(1783年5月)から活動期に入り、7月8日(旧暦)に大爆発を起した。この影響で大量の溶岩流や火砕流が流出し、河川に流れ込み泥流となって、村々を襲った。旧総社町近くの利根川には上流から流れてきた遺体であふれ目も当てられぬ状況であった。当碑は遺体を埋葬した勝山地区に建立されていたが、災害で流失する危険があったため、現在地に移設された。

天明3年浅間山噴火・天明泥流に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
災変受難供養碑 群馬県吾妻郡中之条町大字伊勢町(林昌寺) 地理院地図で見る
災民修法碑 群馬県吾妻郡中之条町大字伊勢町(林昌寺) 地理院地図で見る
天明三年浅間大爆発二百周年記念碑 群馬県吾妻郡中之条町大字青山 地理院地図で見る
天明浅間押し二百年記念碑 群馬県吾妻郡長野原町大字応桑(常林寺) 地理院地図で見る
供養碑 群馬県吾妻郡長野原町大字長野原(雲林寺) 地理院地図で見る
万霊魂祭塔 群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原(鎌原観音堂前) 地理院地図で見る
観音像 群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原 地理院地図で見る
浅間山噴火大和讃 群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原 地理院地図で見る
謝恩碑 群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原 地理院地図で見る

ページトップに戻る

寛政3年高潮 (1791年10月1日)

波除碑  地理院地図でみる
波除碑の写真
災害種別 高潮
建立年 1794
所在地 東京都江東区木場6-13-13
伝承内容 寛政3年(1791)9月3日に大雨が降り始め、翌日午前中の満潮時に暴風雨となり、深川洲崎一帯は高潮によって洲崎弁天や町場が流されて多数の死者・行方不明者が出た。このため一帯を明地とし、寛政6年12月に両端に碑を建てて後の水害に備えた。

寛政3年高潮に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
波除碑 東京都江東区牡丹3-33 平久橋西詰橋台地 地理院地図で見る

ページトップに戻る

眉山崩壊 (1792年5月21日)

流死菩提供養塔  地理院地図でみる
流死菩提供養塔の写真
災害種別 土砂災害・津波
建立年 1793
所在地 長崎県島原市田町
伝承内容 寛政4年(1792)、地震により眉山(まゆやま)が大崩壊して有明海に崩れ落ち大津波が発生した。島原での死者は1万人ともいわれ、津波による溺死体が多く打ち上げられた(島原大変)。津波は対岸の肥後天草も襲った(肥後迷惑)

扇崎千人塚供養塔  地理院地図でみる
扇崎千人塚供養塔の写真
災害種別 津波
建立年 1792
所在地 熊本県玉名市岱明町扇崎927
伝承内容 寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙普賢岳の噴火活動に伴う地震により、眉山(まゆやま)が海中へ崩落して大津波を引き起こした。津波は対岸の熊本に押し寄せ、特に玉名地域では、干拓地を造成中であった地域での被害が甚大で、玉名郡内では2,221人が亡くなった。今日でも「島原大変、肥後迷惑」の口伝が残る。

眉山崩壊に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
流死菩提供養塔 長崎県島原市三会町 地理院地図で見る
流死菩提供養塔 長崎県島原市南崩山町 地理院地図で見る
流死人供養塔 長崎県島原市有明町大三東甲 地理院地図で見る
流死人供養塔 長崎県島原市有明町大三東戊 地理院地図で見る
流死人供養塔 長崎県島原市有明町湯江甲 地理院地図で見る
流死供養塔 長崎県島原市中堀町 地理院地図で見る
溺死無縁塔 長崎県島原市中堀町 地理院地図で見る
島原大変供養塔 長崎県雲仙市国見町土黒甲275 地理院地図で見る
流死菩薩供養塔 長崎県雲仙市国見町多比良甲156-5 地理院地図で見る
津波供養碑 熊本県熊本市西区河内町河内 地理院地図で見る
供養塔 熊本県宇土市戸口町 地理院地図で見る
狐嶋溺死供養塔 熊本県玉名市岱明町下沖洲125-1 地理院地図で見る
津波死十一人塔 熊本県玉名市岱明町下沖洲125-1 地理院地図で見る
津波石の跡 熊本県玉名市横島町横島2327付近 地理院地図で見る
古墳改葬之碑 熊本県玉名郡長洲町大字長洲 地理院地図で見る

ページトップに戻る

象潟地震 (1804年7月10日)

九十九島の碑(鑑古戒今)  地理院地図でみる
九十九島の碑(鑑古戒今)の写真
災害種別 地震
建立年 1906
所在地 秋田県にかほ市象潟町字象潟島2
伝承内容 象潟(きさかた)は、浅瀬の湖に九十九島が点在し、多くの人が賞賛する風景だった。しかし、1804年の地震で象潟を中心として南北60kmの日本海沿いの地域に被害が及び、多くの家が倒壊し、記録にあるだけでも366人の死者がでた。地震による地盤の隆起域は、象潟を中心とする南北25kmの地域に及び、象潟は180~200cmほど隆起した。島の形は変わり、湖は平田となり、蚶満寺も壊れたが再建した。

ページトップに戻る

三条地震 (1828年12月18日)

地震亡霊塔  地理院地図でみる
地震亡霊塔の写真
災害種別 地震
建立年 1829
所在地 新潟県三条市東裏館1-6-5
伝承内容 文政11年(1828)11月12日(旧暦)午前8時頃に発生した三条地震の震源は三条市芹山(旧栄町)付近とされており、信濃川に沿った南北25kmの地域では震度6以上の激震にみまわれた。震源に近い三条では、六斎市でにぎわい、朝の煮炊きのさなかの大地震で、その被害は現在の三条市域で全半壊家屋3160軒余り、焼失家屋900軒余り、死傷者1040名であった。

ページトップに戻る

庄内沖地震 (1833年12月7日)

天保の大津波墓碑  地理院地図でみる
天保の大津波墓碑の写真
災害種別 地震・津波
建立年 不明
所在地 山形県鶴岡市堅苔沢字淵ノ上
伝承内容 天保4年10月26日(1833年12月7日)午後2時頃、庄内沖で発生した大地震で各地の沿岸を襲った大津波は、高さ約9メートルに及び、旧堅苔沢村では死者8名(溺死7、怪我1)、家屋被害38棟、船被害56艘などの大きな被害があった。この碑は犠牲者供養とともに津波が達した位置を知らせる碑として伝えられている。

ページトップに戻る

伊賀上野地震 (1854年7月9日)

法華経塔  地理院地図でみる
法華経塔の写真
災害種別 地震
建立年 1855
所在地 三重県伊賀市服部町一丁目(くれは水辺公園)
伝承内容 嘉永7年(1854)は三重県で大地震が連続して発生した。なかでも、2日前から前震が発生し始めた嘉永7年6月15日(1854年7月9日)の大地震で、伊賀では死者約600名の被害となった。約5ヶ月後の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)には安政東海地震が発生した。この碑は服部川の河川敷から当地に移設された。

伊賀上野地震に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
安政伊賀上野地震供養塔 三重県伊賀市野間 地理院地図で見る

ページトップに戻る

安政東海地震 (1854年12月23日)

震災追弔の碑  地理院地図でみる
震災追弔の碑の写真
災害種別 地震
建立年 1903
所在地 静岡県沼津市大岡3224-4
伝承内容 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に発生した安政東海地震により、駿河国大岡村(現沼津市大岡南小林)の約2haほどの土地が一瞬のうちに約12~15m陥没して、住家12戸が埋没、9名が亡くなった。

津浪流倒記  地理院地図でみる
津浪流倒記の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1855
所在地 三重県志摩市志摩町越賀581(大蔵寺)
伝承内容 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に安政東海地震が発生し、当地区では、海底が見えるほど潮が引いた後に、高さ約9mの大津波に襲われ、波は約500~600mほど押し寄せた。死者3名、流失家屋21戸、流失船舶41等の被害が発生した。地震のあとは火を消し、老人子供は勿論、食料を持って早々に高所へ逃げること等の教訓が記されている。

遊木の(嘉永の)津浪供養碑  地理院地図でみる
遊木の(嘉永の)津浪供養碑の写真
災害種別 地震・津波
建立年 不明
所在地 三重県熊野市遊木町 光明寺境内
伝承内容 宝永4年10月4日(1707年10月28日)の大地震・津波以来150年経って、嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に安政東海地震が発生し、津波が約5m上がった。神社のほか人家流出45軒、死者が7人あった。今後、大地震の時には津波があると考え、最初は平地に出て、揺れおわりしだい高い所に逃げること。

安政東海地震に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
震災鎮めの石碑 愛知県豊橋市伊古部町字南椎ノ木谷 地理院地図で見る
安政津浪潮位点 三重県尾鷲市賀田町 地理院地図で見る
大津浪塩先地 三重県鳥羽市浦村町今浦 地理院地図で見る
津波の碑 三重県鳥羽市浦村町本浦 地理院地図で見る
津波流失塔 三重県鳥羽市国崎町(常福寺) 地理院地図で見る
二木島の津浪地蔵 三重県熊野市二木島町 県道二木島港線沿い 旧荒坂小学校裏 地理院地図で見る
津浪留 三重県熊野市新鹿町 市道湊向井田橋線沿い 民家の石垣内 地理院地図で見る
地震津浪遺戒 三重県志摩市阿児町甲賀(妙音寺) 地理院地図で見る
津波流死塔 三重県度会郡大紀町錦229-1(金蔵寺) 地理院地図で見る
奉石書佛経宝塔 三重県北牟婁郡紀北町相賀 地理院地図で見る
津波流死塔(嘉永7年) 三重県北牟婁郡紀北町長島(佛光寺) 地理院地図で見る
津波の碑 三重県北牟婁郡紀北町引本浦(吉祥院) 地理院地図で見る
供養塔(津波供養塔) 三重県度会郡南伊勢町贄浦(最明寺) 地理院地図で見る
大地震両川口津浪記 大阪府大阪市浪速区幸町三丁目 地理院地図で見る
安政地震津波碑 大阪府大阪市天王寺区四天王寺一丁目11-18 四天王寺境内 地理院地図で見る
安政津波の碑 和歌山県田辺市新庄町 地理院地図で見る
安政津波の碑 和歌山県田辺市新庄町799 地理院地図で見る
安政津波の碑 和歌山県田辺市新庄町 地理院地図で見る

ページトップに戻る

安政南海地震 (1854年12月24日)

大地震両川口津浪記  地理院地図でみる
大地震両川口津浪記の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1855
所在地 大阪府大阪市浪速区幸町三丁目
伝承内容 1854年12月24日の安政南海地震後に発生した津波によって、安治川・木津川等に停泊する船に避難した人々が大きな被害を受けた。1707年に発生した宝永地震の時に起きた同様の災害の教訓が生かせなかったことを、後世への戒めとして残すため建立されている。

大地震津なみ心え之記  地理院地図でみる
大地震津なみ心え之記の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1854
所在地 和歌山県有田郡湯浅町湯浅785
伝承内容 嘉永7年11月5日(旧暦)の安政南海地震では、海鳴りの後すぐに津波が押し寄せ、地震から逃れようと浜や川筋に逃げて溺死した人が多かった。150年前の宝永地震の際も浜に逃げた多くの人々が津波で死んだ事を知るものも少なくなったのでこの碑を建てる。地震が起きたら火の用心をして津波の前兆がなくても必ず浜辺川筋ではなく、深専寺の門前を通り、天神山へ逃げること。

沖洲蛭子神社百度石  地理院地図でみる
沖洲蛭子神社百度石の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1861
所在地 徳島県徳島市南沖洲1
伝承内容 安政南海地震(1854)では津波から船で逃げようとして命を失う者もいたことから「船で避難してはいけない」、こたつやかまどから出火して多くの家や倉が焼けたことから「冷静に火の始末をせよ」と伝えている。さらに、「100年のうちにこのような地震・津波がやってくる」と警鐘を鳴らしている。なお、碑は2003年に北沖洲から移転された。

安政津浪の碑  地理院地図でみる
安政津浪の碑の写真
災害種別 地震・津波
建立年 1857
所在地 高知県幡多郡黒潮町入野
伝承内容 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の昼にかすかな震動があり、鈴波が来た。翌5日(24日)午後4時頃大地震により家々は倒壊し、人々は山へ逃げた。7回襲った津波のうち第4波が最大で、村は砂漠、田は海になった。148年前の宝永地震(1707)でも同じことがあった。鈴波は津波の兆しであることを100年あまり後の人に伝えるためにこの碑を作った。

安政南海地震に関するその他の自然災害伝承碑(主な自然災害伝承碑)
震災鎮めの石碑 愛知県豊橋市伊古部町字南椎ノ木谷 地理院地図で見る
安政地震津波碑 大阪府大阪市天王寺区四天王寺一丁目11-18 四天王寺境内 地理院地図で見る
安政南海地震・昭和南海地震津波潮位碑 和歌山県田辺市新庄町 地理院地図で見る
安政南海地震供養碑 兵庫県明石市鍛治屋町5-20(浜光明寺) 地理院地図で見る
濱口梧陵碑 和歌山県有田郡広川町上中野206 広八幡神社境内  地理院地図で見る
為後鍳(のちのためのかがみ) 和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見字山崎 地理院地図で見る
赤石豊浦神社石碑 徳島県小松島市赤石町94番1 地理院地図で見る
椿公民館石碑 徳島県阿南市椿町浜14 地理院地図で見る
庚申塔 徳島県那賀郡那賀町谷内(妙法寺) 地理院地図で見る
東由岐浦修堤碑 徳島県海部郡美波町東由岐 地理院地図で見る
敬渝碑 徳島県板野郡松茂町中喜来字牛飼野西ノ越30 春日神社境内 地理院地図で見る
浦戸稲荷神社石柱碑 高知県高知市浦戸 地理院地図で見る
安政南海地震伝承碑(琴平神社玉垣) 高知県南国市里改田 地理院地図で見る
安政地震の碑 高知県土佐市宇佐町宇佐1457-3 地理院地図で見る
安政南海地震潮位碑 高知県宿毛市大島 地理院地図で見る
寶永津浪溺死之塚 高知県須崎市須崎 地理院地図で見る
清水中浜恵比須神社地震碑 高知県土佐清水市中浜 地理院地図で見る
下田住吉神社安政南海地震伝承碑 高知県四万十市下田 地理院地図で見る
復興記念碑 高知県高岡郡中土佐町久礼 地理院地図で見る
大地震・大津波の碑 大分県佐伯市米水津大字浦代浦480番地 地理院地図で見る

ページトップに戻る

飛越地震(1858年4月9日)と土石流(1858年6月7日)

紀念碑  地理院地図でみる
紀念碑の写真
災害種別 洪水・土砂災害・地震
建立年 1890
所在地 富山県富山市荒川二丁目 広田用水公園内
伝承内容 安政5年2月26日(1858年4月9日)の飛越地震により、大鳶・小鳶山が崩壊し湯川を塞き止め湖水ができた。同年4月26日(旧暦)、湖水の水が、閉塞口を貫いて湯川から常願寺川へと流れ大洪水となり、下流域で64名が犠牲になった。

飛越地震と土石流に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
大場の大転石 富山県富山市西番465番 外 地理院地図で見る
安政の流石 富山県富山市西番東部320番2 外 地理院地図で見る
安政大水害 百年記念碑 富山県中新川郡立山町日置 地理院地図で見る
西大森の大石 富山県中新川郡立山町西大森 地理院地図で見る

ページトップに戻る

慶応2年寅の大水 (1866年9月15日)

慶応2年洪水痕跡  地理院地図でみる
慶応2年洪水痕跡の写真
災害種別 洪水
建立年 1995
所在地 徳島県徳島市国府町芝原
伝承内容 慶応2年(1866)7月末(旧暦)から降り続いた雨により、8月7日に大洪水となった。芝原と第十の堤防が全壊し、土地の高い所でも床上約60~90cm、低い所では天井に達するほどの浸水となった。この碑のある蔵珠院に洪水の痕跡が残っており、標柱はその水位を示している。同院の過去帳には阿波の国中で37020人が溺死したことなどが記録されている。

慶応2年寅の大水に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
新見嘉次郎の石碑 徳島県板野郡北島町鯛浜 地理院地図で見る
悲願金剛 香川県東かがわ市西山 地理院地図で見る

ページトップに戻る