管内の主な観測施設
日本水準原点建物(日本水準原点標庫)の説明
明治24年(1891年)築で、ローマ風神殿建築に倣ったドーリア式の建築様式(オーダー)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築物です。 ここにある石造りの建物の中には、国内の高さの測量の基準になる日本水準原点が納めてあります。 土地の高さは、平均海面を基準に取りますが、実用的には地上のどこかに、高さの基準となる点を表示しておく事が必要です。 このため、明治24年(1891年)に水準原点がつくられ、当時、隅田川河口の霊岸島で行われた潮位観測により、水準原点建物内部の水晶板のゼロ目盛りの高さが、東京湾平均海面上24.500mと決定されました。 水準原点のあるこの地は、山の手の台地で、原点の礎石は、地下10mあまりの強固な地層から築いてありますので、下町の沖積地のように甚だしい地盤沈下を起こすおそれはありません。 しかし、大正12年(1923年)の関東大地震では、この付近一帯に相当の地殻変動があり、測量の結果、原点の高さは東京湾平均海面上24.414mと改定され、昭和24年(1949年)の測量法施行令制定により24.4140mと定められました。さらに、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の影響による地殻変動が観測されたため、平成23年10月21日に、東京湾平均海面上24.3900mと改定されました。 現在では、神奈川県三崎の油壺験潮場で実施する潮位観測及び定期的に行われる水準原点~油壺間の水準測量によって水準原点の高さを点検しています。 ※日本水準原点と日本水準原点標庫が国の重要文化財に指定されました。 ※日本水準原点と日本水準原点標庫が「令和元年度土木学会選奨土木遺産」に認定されました。 ※「一等水準点標石(交無号)」が東京都中央区民文化財に登録されました。 (→一等水準基準点「交無号」について) (→水準点の測量) (→高さの基準の説明) 日本経緯度原点日本経緯度原点は、わが国における地理学的経緯度を決めるための基準となる点です。 明治25年に東京天文台の子午環の中心を日本経緯度原点と定めました。 その後、大正12年の関東大地震により、子午環が崩壊したため、日本経緯度原点の位置に金属標を設置しました。 平成13年に測量法が改正され測量の基準として、世界測地系を採用することになり、金属標の十字の交点が日本経緯度原点の地点となりました。
原点の経度、緯度及び方位角の数値は、 最新の宇宙技術を用いて定めたものです。 さらに、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の影響による地殻変動が観測されたため、平成23年10月21日に、次の数値に改定されました。 経度 東経 139°44'28.8869" 管内験潮場海面の昇降(潮位)を測ることを験潮といい、その海面の潮位を測定する施設を験潮場といいます。
国土地理院では、土地の高さの基準を決めるために験潮を行っています。 また、長い期間連続観測して蓄積した潮位データは、地殻変動の監視、津波の検出など、防災に重要な役割を果たしています。 さらに、験潮とGPS(全地球測位システム)などの新しい測量技術を併用することにより、地球温暖化による海面変動監視の研究に役立てることができます。 関東地方測量部では、神奈川県油壺・千葉県勝浦の2箇所の験潮場の維持・管理をしています。 (→験潮とは) 油壺験潮場油壺験潮場(神奈川県三浦市三崎町小網代城ノ内) 油壺験潮場は明治27年(1895年)6月神奈川県三浦市三崎町の小網代湾内に建築されました。
現在、歴史的な文化財としても貴重なものとして保存されている煉瓦造りの旧験潮場と平成7年に建設されたコンクリート造りの新験潮場が併設されています。 油壺験潮場の潮位観測は、原点の高さ(東京湾平均海面)にも大いに関わっており、明治33年から大正12年の関東大震災前までの23年間の観測結果から油壺の平均海水面が算出され、その値と霊岸島から得た高さの差は3mmしか無く、水準原点の高さを保証しました。 その後、関東大震災の地殻変動によって水準原点の高さは、24.414mに改訂されましたが、その時も油壺験潮場の潮位観測から求められた高さが用いられています。 ※油壺験潮場旧建屋「平成30年度土木学会選奨土木遺産」に認定されました。 勝浦験潮場勝浦験潮場(千葉県勝浦市興津 興津港内) 勝浦験潮場は昭和42年(1967年)3月に千葉県勝浦市興津港内に設置され、同年6月からGSI型験潮儀による観測を開始しました。
国土地理院の験潮場は全国に25箇所設置されていますが、11番目に設置された験潮場で、南関東及び東海地方の験潮場のひとつとして、昭和55年にはテレメーターも設置され、房総半島を始めとした日本列島の地殻活動の把握にも役立っています。 |