一等水準点「交無号」について

日本の標高決定は一等水準点「交無号」から始まった!

 皆さん、日本の標高の基準である東京湾平均海面と日本水準原点を繋ぐために重要な役割をした水準点があることを知っていますか?

東京湾平均海面は、明治6年から明治12年に東京湾の霊岸島に設置された量水標での潮位観測の結果から決定されました。その観測結果は、量水標近傍の几号水準点(きごうすいじゅんてん)「内務省地理局水準標石(霊岸島旧点)」に取り付けられ、明治初期の高さの基準となりました(図-1)。

量水標と霊岸島旧点の関係図(大正8年作成)

図-1 量水標と霊岸島旧点の関係図(大正8年作成)



その後、明治24年3月に霊岸島旧点に替わる強固な水準点として「霊岸島新点・交無号」が設置されました。同年5月には、我が国の高さの原点となる日本水準原点が参謀本部敷地内(現在の東京都千代田区永田町1-1-2 国会前庭北地区憲政記念館構内)に設置されました。その際、日本水準原点の標高は、この「交無号」から水準測量を行い定められました。近代測量の歴史において重要な役割を果たしたといえます。

時代は進んで、潮位観測と水準原点とを繋ぐ役割は、東京湾の埋め立てや隅田川の河川水の影響によって、霊岸島から神奈川県三浦半島の油壺験潮場に譲ることとなりましたが、数度の移転を経て、平成18年から現在の場所に鎮座し、現在も一等水準点として使用され続けています。

具体的には、東京都中央区新川二丁目32番地先、霊岸島量水標モニュメントから約100m北東側の花壇の中にあり、地元の新川二丁目越一婦人部の方々が、花壇の管理と共に周辺を整備してくれています。 
 周辺には、緑化された隅田川スーパー堤防、隅田川テラス、霊岸島量水標モニュメント等が整備されており、散策に適した場所になっています。


注1:水準点番号「交無号」の由来は、水準路線が交差する点であることを示す「交」と「0」を意味する「無号」を合わせた事による。
注2:几号水準点とは明治初期に用いられたイギリス式の水準点。



一等水準点「交無号」へのアクセス

最寄り駅

JR京葉線・東京メトロ日比谷線 八丁堀駅 B4出入口から約500m 

案内図

出典:国土地理院「地理院地図」
(関東地方測量部)