1947年カスリーン台風災害と治水地形

(2)カスリーン台風の洪水流の特徴

中川低地を流下した洪水流の特徴

 現在の中川低地には、江戸時代以前は現在の利根川、荒川が流入していましたが、江戸幕府による土木工事(「利根川の東遷」「荒川の西遷」と呼ばれる河川の付替え)により現在の流路に変えられました。1947年頃の地図には、古利根川(現在の大落古利根川)、中川、庄内古川(現在の中川)、元荒川などの河川が中川低地を流れている様子が示され、カスリーン台風の洪水流は付替え前の利根川の旧流路をたどるように流下していきました。
 図4は、地理調査所(1947)の図集「利根川及び荒川の洪水の進行」(図3)に表現されている洪水調査の地理情報を、治水地形分類図の地形分類上に表示したものです(市区町村名は現在の名称を表示)。地理調査所が調査した洪水走時線(初期洪水到着同時線)は、2時間毎にどこまで洪水が進んだかを示した線ですが、他資料で明らかになっている時間経過の出来事と照らし合わせると、当時の洪水流の状況を想像することができます。
参考画像1
図4 中川低地に流入した利根川の洪水流の進行状況及び主な時間経過

参考画像2
中川低地を流下した洪水流(30秒アニメーション)

 上は、図4の洪水走時線をアニメーション化したものです。利根川破堤箇所から流出した洪水流がどのように流れたか、を視覚的に理解することができます。(アニメーションで表示している洪水走時線の線種、地形分類等は図4と同じです)

※図4で示した地形分類は治水地形分類図より編集。洪水走時線、利根川破堤箇所、決壊口は地理調査所(1947)より引用。浸水範囲は利根川上流河川事務所ホームページ掲載資料より編集。1947年当時の河川・池沼は旧版地形図より編集。時間経過の説明文は内閣府(2012)より引用。

埼玉県東部の低地を流下した洪水流の特徴

 春日部市、越谷市、松伏町などが位置する埼玉県東部の中川低地の河川沿いには、自然堤防と呼ばれる高まりが広く分布しています。自然堤防は、河川の氾濫が繰り返し発生して砂・礫が溜った高まりの地形を指しますが、特に大落古利根川(旧河川名:古利根川)沿いには川幅と比較して規模の大きい自然堤防が形成されています。これらの自然堤防は、氾濫平野などの低地より1~2m高く、また氾濫平野などを取り囲むように凹地状になっていることが治水地形分類図から分かります(黄色模様が自然堤防)。
 図5は、治水地形分類図を背景にこの地域一帯の洪水流の進行状況を洪水走時線と流線(洪水が流れた方向線)の記号で表したものです。中川(旧河川名:庄内古川)の右・左岸を流れた洪水流は、一定の間隔(時間)で東京都方面に南下している様子が洪水走時線で表現されていますが、大落古利根川から流出した洪水流は、元荒川の間の自然堤防に囲まれた凹地の中をぐるぐる回りながら広がる様子が表現されています。
 地理調査所の報告書の中に『今回の利根川の洪水は自然堤防の密な地域に氾濫し、自然堤防に囲まれた狭い凹地内を満水し、その境の自然堤防を溢流、決壊して次の同じく自然堤防に囲まれた小凹地に溢流し、更にまたそれを満たして周囲の自然堤防を溢流・決壊して前進した』という記述があります。これは現在の幸手市より北側の洪水流の特徴を記述したものですが、この特徴は図5で示した地域にも当てはまります。この地形的特徴により、9月19日午前2時過ぎに埼玉県と東京都の境にあった桜堤(都県境を流れる大場川の堤防)が決壊した同じ頃、桜堤から北に約17kmも離れている現在の越谷市で洪水流が滞留していました。
参考画像3
図5 埼玉県東部の低地に流入した洪水流の進行状況


参考画像4
埼玉県東部の低地を流下した洪水流(20秒アニメーション)

 上は、図5の洪水走時線(9月17日3時~19日9時)を河川や地形に合わせながらポリゴン化し、水が流れているようにアニメーション化したものです。現在の春日部市、越谷市に流入した洪水流がどのように広がっていったのか、を視覚的に理解することができます。(赤点は決壊口)