沿岸海域基礎調査報告書(行橋地区)

II.調査の結果

II-1.陸域の地形

1)地形概要

 本調査地域は、九州北東部に位置し、山口県南西部から福岡県北東部、国東半島に囲まれた盆状の周防灘に面している。

 調査地域内の地形は、山地、開析のすすんだ台地・段丘、河川及び海岸に沿って発達する低地に大別できる。

 山地は、貫山(712m)一帯が調査地域内で最も標高が高く、樹枝状に小規模な谷が形成されており、緩傾斜の堆積地形が数多く発達している。また、調査地域西部にはカルスト台地の平尾台が形成され、石灰岩地域特有の浸食地形が多く残っている。それ以外の山地は標高250m程度で起伏の少ない丘陵状の山地が形成されている。本調査地域では花こう岩が広く分布しているが、風化によってマサ土化し、山地斜面は全体的に開析が進んでいる。 

 台地・段丘は、調査地域南部に広く分布しているほか、調査地域北部では山麓部に小規模な面が分布している。南部の行橋市稲童や勝山町黒田などでは、開析が進んで樹枝状の谷が発達し、段丘面上の平坦地は少ない。

 本調査地域内の主な河川は、貫川、小波瀬川、長峡川、今川などがあり、河川沿いには氾濫平野が発達している。南部の祓川、城井川(南部調査地域外)には扇状地が発達している。貫川の沿岸部では海岸平野が形成され、その沖合には干拓地が広がっている。小波瀬川、長峡川、今川、祓川の河口付近では三角州が形成され、その沖合は干拓地となっている。

 

2)地形各説

 本調査地域の地形区分図を図-10に示す。ここでは本調査地域の地形的特徴に基づき、本調査地域西側の広い範囲を占める山地(I)、開析の進んだ段丘面が残る台地・段丘(II)、海岸および河川沿いの低地(III)の3つに区分した。以下、各地形区分について記載する。

 
a.山地・丘陵地(I)

 本調査地域の山地は、山稜の連続性や分布位置などの相違により、貫山山地(Ia)、平尾台(Ib)、飯岳山山地(Ic)、観音山山地(Id)、孤立丘陵群(Ie)の5地形区に細分した。

 
貫山山地(Ia)

 本地形区は、貫山(712m)、水晶山(531m)、高城山(419m)を主峰とする山地で、北西から南東に向かって高度が低くなる傾向がある。

 本地形区の地質は主に花こう岩類からなり、地表近くは風化が進みマサ土化しているため開析が進み、小規模な谷が多く形成されている。これらの谷のうち、空中写真より堆積地形として判読できる部分は山間谷底として区分した。

 また、本地形区では北北東-南南西方向に大きな谷が発達し、その谷沿いでは礫混じりの崖錐堆積物による緩傾斜の山麓堆積地形が形成されている。

 
平尾台(Ib)

 本地形区は、貫山の南西側に位置し、石灰岩からなるカルスト台地で、標高350~550mの起伏の小さいなだらかな地形が広がっている。

 ドリーネ、カッレンフェルト等のカルスト台地特有の地形が多く残っているほか、千仏、青竜窟などの鍾乳洞も多く形成されている。また、平尾台の南西部は石灰岩の採石場として利用されている。

 
御所ヶ岳山地(Ic)

 本地形区は、長峡川上流部の南側、今川上流域の西側に位置している。

 本地形区東部では御所ヶ岳(247m)など標高200~250mの主稜線が東西方向に連続している。山頂付近では比較的急傾斜となっているが、山麓部には標高50m未満の緩傾斜の斜面が広がっている。本地形区西部は障子ヶ岳(423m)(西部調査地域外)など標高400m近くの主稜線の東側斜面にあたり、緩傾斜の丘陵状の地形となっている。起伏の小さい区域ではゴルフ場などの土地改変が進んでいる。

 
観音山山地(Id)

 本地形区は、調査地域西方に広がる貫山山地南部から東に離れて分布し、勝山町黒田を挟んで東西に二分される。西側の山地がやや高く標高は150~250mで、山頂部にやや傾斜の緩い部分がみられるほか、山地の東西の山麓部は緩斜面となっている。東側の山地は起伏の極めて小さい丘陵状の地形であり、住宅地開発など大規模な人工改変が行われている。

 
孤立丘陵群(Ie)

 本地形区は、周防灘海岸沿いに点在し、台地・段丘や低地に囲まれる標高100~150mの小起伏の丘陵地である。

 調査地域南部の覗山、矢留山一帯の丘陵地は、飯岳、御所ヶ岳から東北東-西南西方向に連続的に連なる丘陵群で、開析がかなり進み起伏が小さく、沖積低地を伴う樹枝状の谷が発達している。

 調査地域北部の蓑島山、二先山、松山は、南部の丘陵地に比べ傾斜が急であり、周囲を海岸平野や海面に囲まれている。

 
b.台地・段丘(II)

 本調査地域の台地・段丘は、分布位置の相違により、豊津段丘(IIa)、新田原段丘(IIb)、黒田段丘(IIc)、泉段丘(IId)、貫山山麓段丘(IIe)の5地形区に細分した。

 
豊津段丘(IIa)

 豊津町国分一帯に分布する段丘で、本調査地域では南部の標高が高く(約70m)、北側に向かって徐々に低くなる。沖積面との比高は15~30mであり、開析及び人工改変が進み、段丘面上の平坦地は少ない。

 
新田原段丘(IIb)

 豊津町綾野から行橋市稲童浜、長井にかけて広がる段丘である。

 綾野から稲童浜にかけては、河成の開析扇状地の形態を示し、南西部の標高が高く(約50m)、北東に向かって徐々に低くなり、周防灘に面する部分では10m程度の標高となっている。沖積面との比高は5~10mであり、開析及び人工改変がかなり進んでいるため、段丘面上の平坦地は少ない。段丘の周りは幅の狭い斜面が取り囲んでいるが、人工改変がすすんでいるため小規模な崖状になっている部分が多い。また、航空写真では段丘面の北側・南側がやや低く、2段に判読できる。

 航空自衛隊築城基地では大規模な人工改変が行われているほか、豊津町の一帯では圃場整備によって段丘面と低地の比高がほとんどなくなっている。

 稲童浜から長井にかけては、段丘面が南北に細長く分布し、阿蘇4火砕流堆積物(8.5-9万年前)を含む砂質ローム層が見られる(行橋市稲童浜の露頭の模式柱状図)

 
黒田段丘(IIc)

 行橋市大久保及び勝山町黒田に分布する開析扇状地である。大久保から黒田にかけて旧長峡川の流路に沿って連続した面が形成されていたものが、上流部の大久保は現長峡川の河川争奪により南北に分断されたと考えられる。

 大久保では標高20~90mで分布しており、大規模な圃場整備の結果、北側に向かって傾斜した平坦な面が広がっている。その西側には、崖を挟んで接する高位の面が残っている。

 黒田では標高10~25mで分布し、南側が約25mと最も高く、北側に向かって緩やかに低くなる。開析はあまり進んでおらず、沖積面との比高は2~3mと小さく、段丘面と沖積面との間が緩斜面で境界が不明瞭な部分もある。

 また、大久保と黒田に挟まれた勝山町箕田周辺では、長峡川の氾濫平野との比高1m程度の段丘面が分布しているほか、その北西には開析が進み丘陵状になった高位の段丘面が分布する。

 
泉段丘(IId)

 今川と祓川に挟まれた地域に分布する標高5~20mの段丘で、やや開析が進んでいる。沖積面との比高は2~3mと小さい。

 
貫山山麓段丘(IIe)

 貫山山地を取り囲むように分布する段丘である。貫山山地北部では氾濫平野に接して比高数mの段丘面が分布するほか、貫山山地の谷底平野に沿って標高70m位まで分布している。

 

 苅田町西方の山手側では、扇状地性の山麓堆積面が開析され、山地から海岸に向かって東西に細長く分布しており、標高は貫山北部に比べやや低く、高いところで40m位である。

 

 
c.低地(III)

 本調査地域の低地は、分布位置の相違により、曽根低地(IIIa)、苅田低地(IIIb)、長峡川・今川・小波瀬川低地(IIIc)、祓川低地(IIId)、行橋低地(IIIe)、築城低地(IIIf)の6地形区に細分した。

 
曽根低地(IIIa)

 北九州市小倉南区曽根一帯に形成された谷底平野、海岸平野、干拓地によって構成されており、谷底平野から海岸平野へは漸移し、境界は不明瞭である。

 内陸部では竹馬川の営力による標高20m以下の河成の低地が広がっており、貫山北側では幅300~500m程度の谷底平野が形成されている。

 標高2~4mの海岸沿いの地域では、貝殻片混入のシルト質堆積物からなる海岸平野が形成されているほか、海岸線と平行に幅100~200m、長さ約2km、比高1m程度の砂州(微高地)が形成されている。また、海岸平野の沖合は遠浅な地形を利用して江戸時代から干拓事業が行われ、現在も農地として利用されている。

 
苅田低地(IIIb)

 苅田町の周防灘に面した低地で、扇状地、氾濫平野、海岸平野、干拓地によって構成されている。

 山麓部には貫山山地の小規模な開析谷の出口に扇状地が形成され、場所によっては片岩礫を含む砂礫層が厚さ10m以上堆積している。これらの扇状地を開析した氾濫・谷底平野が分布し、その外側に海岸平野が残っている。

 また、江戸時代から明治時代にかけて干拓事業が段階的に進められ、現在では約500mの幅の干拓地が南北に残っている。さらに海側には大規模な埋立地が広がり、工業用地として利用されているほか、さらに沖合には空港敷地として人工島が整備されている。

 
長峡川・今川・小波瀬川低地(IIIc)

 長峡川、今川、小波瀬川沿いに形成された氾濫・谷底平野である。

 今川の上流部の犀川町花熊付近では標高約15m、幅500~600m、行橋市豊栄付近で谷幅が200~300mに狭まっている。その下流部では長峡川の氾濫域と合わさり、行橋市吉国-泉付近では標高5~6m、幅2km以上の氾濫平野が形成されている。

長峡川の上流部の勝山町宮原付近では標高約50m、幅500~600m、中流部の上稗田-西谷付近では標高約10m、幅1kmほどである。また、小波瀬川の上流部の行橋市須磨園付近では、標高12~13m、幅700~800mほどである。

 長峡川、今川沿いには自然堤防(微高地)、旧河道(微低地)が多く形成されている。自然堤防は沖積面からの比高が約1m程度で、ほとんどが集落地となっている。旧河道は沖積面からの比高が1mに満たない部分がほとんどであるが、行橋市寺畔付近には幅約50mの旧河道が蛇行しながら明瞭に残っている。

 
祓川低地(IIId)

 祓川沿いに形成された扇状地性の低地である。

 上流部の豊津町上原付近では標高約40m、行橋低地(IIIc)へと移行する扇状地先端部付近では標高約10mとなっており、南から北へ傾斜している。

 祓川に沿っては旧河道(微低地)が形成されていたが、現在は農地整備等によりほとんどが平坦化されている。また、自然堤防(微高地)が点在し、集落地となっている。

 
行橋低地(IIIe)

 長峡川、今川、小波瀬川、祓川の河口部が集中し、砂-シルト質の三角州性の低地である。上流域の氾濫平野とは漸移し、境界線は不明瞭である。河口付近は二先山-沓尾付近で約2.5kmの幅がある。標高3m未満の平坦地で、広い範囲で盛土がなされ、行橋市街地が発達している。河口部では干拓地が広がり、主に水田として利用されている。また、蓑島の南には幅100~150m、長さ1km余り、比高1~2mの砂洲が残っているほか、元永から行橋市街地にかけて砂州が分布する。

 
築城低地(IIIf)

 城井川左岸に形成された扇状地性の低地であるが、下流部では海岸平野へ移行し、沿岸部に干拓地が残っている。

 扇状地部分は、標高5~25mで、南西から北東に向けて緩やかに傾斜している。自然堤防(微高地)、旧河道(微低地)が形成され、微高地は集落地となっている。

 海岸平野は海岸に平行して分布し、一般面からの比高が1~2mの砂州(微高地)が細長く形成されている。

 

3)特徴的な地形
 
a.段丘区分

 調査地域の段丘は、構成物質や標高の対比等から、大きく4面に区分した。

  
表-3.段丘面区分対比表
本調査での区分 千田昇(1984)*1 長岡信治・町田洋(2001)*2 年代 主な分布場所
I H2面 H2面(fT8) 30万年前後 豊津町国分
II M1面、M2面 M1面(fT5e)、古期段丘(fT5) 8~12万年 豊津町綾野~行橋市稲童、行橋市鳥井原、行橋市長井~稲童浜
III L面 M2面(fT4) 7万年 行橋市泉、福原、大久保、勝山町黒田
IV 区分なし L面(fT2) 3万年以降 勝山町箕田
*1:千田昇(1984):豊前行橋平野の地形発達-周防灘沿岸平野の地形学的研究(1)-.Research Bull,Fac,Educ,Oita Univ,6(7),7~15.
*2:長岡信治・町田洋(2001):九州・南西諸島.小池一之・町田洋(編)「日本の海成段丘アトラス」,東京大学出版会,72-84(106pp.).
* 年代は海成段丘アトラスを参照
 

 豊津町国分一帯にまとまって分布する面(I面)は、本調査地域内で最も高位な面で、河成の礫層で構成される。

 主に豊津町綾野から行橋市稲童にかけて広く分布する面(II面)は、I面の下位にあたり、I面を構成する礫層より若い層で構成される。多くは河成礫層であるが、稲童浜等一部で阿蘇4火砕流堆積物の分布が確認されている。

 II面の下位にあたる面(III面)は、行橋市泉、福原、大久保、勝山町黒田一帯にまとまって分布するほか、山麓部に接して小規模な面が分布する。

 本調査地域の最も下位に位置する面(IV面)は、勝山町箕田周辺にまとまって分布するが、沖積面との比高は小さい。

 
b.干拓地の分布

 曽根新田から今川・祓川河口にかけての広い範囲で干拓地が広がり主に農地として利用されている。

 曽根新田一帯は遠浅の地形を利用して古くから干拓が行われており、江戸時代以前より干潟で簡単な排水工事を行い、農地として利用されていた(1:一番開作)。江戸時代以降には海側に堤防を築き、本格的な干拓事業が進められ(3:大野新地、4:曽根新田)、現在に至っている(図-12.曽根新田周辺の干拓地分布)

 
資料:曽根干拓建設事業計画概要書(農林省曽根干拓建設事務所,1954)

 苅田町沿岸部の干拓は、江戸時代末期から明治時代にかけて行われ、現在でも主に農地として利用されているほか、一部は住宅地、工業用地にも転用されている。

 今川・祓川河口付近の干拓地は江戸時代末期から進められ、完成後は他県からも入植が行われ農村集落が形成され、現在に至る。

 
表-4.干拓地一覧
干拓地名 事業時期
曽根新田*1 延享元年頃(大野新地)、寛政四年~(曽根新田付近)等
苅田新開*2 文久元酉年~
浜(町)新開*2 明治26年~
南原新開*2 明治31年~
与原新開*2 不明
毛利新開*2 明治11年~
清兵衛新地*3 天明8年~
平井新地*3 文久年間以前
辰新開*3 文久年間以後
文久干拓*3 文久元年~
資料
*1:曽根干拓建設事業計画概要書(農林省曽根干拓建設事務所編,1954)
*2:京都郡誌(伊藤尾西郎編,1919)
*3:文久干拓百二十年小史(山内公二,美夜古文化,1985)
 
 

II-2.陸域の地質

1)地質概要

 本調査地域は、主として古生代の堆積層とそれらに貫入する中生代の花こう岩類、更新世の段丘堆積物、低地の沖積堆積物である完新統からなる。また、本調査地域は、三郡帯に属しており、中国地方の三郡-中国帯の西方延長にあたり、北東-南西方向の帯状構造を持つ。

 本調査地域に分布する三郡変成岩は花こう岩類による接触変成作用を受け、高度に変成している。三郡変成岩と非変成古生界の呼野層群とは断層関係にあると考えられている。呼野層群は岩相から下部層・中部層・上部層に区分され、年代的には石炭紀の初期からペルム紀にわたると考えられている。花こう岩類は全体的に風化が進み、マサ土が厚く堆積している。

 段丘堆積物は、段丘を構成する地層で主に砂礫層で構成されているが、行橋市稲童浜、長井の周辺では阿蘇-4火砕流堆積物が確認できる。

   
表-5.本調査地域の地質層序表
地質年代 地質区分 特徴
新生代 第四紀 完新世 沖積層 低地部を構成する堆積物。シルト・砂・砂礫からなる。
更新世
段丘堆積物  段丘を構成する地層で砂礫層を主体とする。一部に阿蘇-4火砕流堆積物が確認できる。
中生代 花こう岩類 三郡変成岩・呼野層群に貫入し、全体的に風化が進んでいる。
古生代 呼野層群 上部層 主に石灰岩からなり大きな岩体として分布する。
中部層 主主に砂岩・粘板岩とその互層からなり、礫岩・チャート・緑色岩・石灰岩をともなう。
下部層 下半部では主に泥質岩からなり、砂岩・チャート等をともなう。
上半部は主に変斑れい岩・変花こう閃緑岩類等からなり、泥質岩をともなう。
三郡変成岩  主に砂質岩、泥質岩源の結晶片岩類からなり、わずかに石英片岩・緑色片岩をともなう。
全全体的に花こう岩類の接触変成作用をうけてホルンフェルス化している。
 

2)地質各説
 
a.三郡変成岩

 主に砂質岩、泥質岩源の結晶片岩類からなり、わずかに石英片岩・緑色片岩をともなう。走向は北東-南西方向、傾斜は75°~80°Nで、南側に下位層があり、北側に向かってより上位の地層が重なり、平尾台の石灰岩と接する。

 

 全体的に花こう岩類の接触変成作用をうけてホルンフェルス化し、黒雲母片岩・ざくろ石片岩のような高変成度の変成岩類がみられる。

 

 なお、三郡変成岩は中部地方西部から中国地方を経て北部九州に及ぶ広い範囲に分布する低変成度の結晶片岩類の総称である。

 
b.呼野層群

 北九州市門司区の企救半島から平尾台周辺地域にかけて分布する古生層で、岩層から下部層・中部層・上部層に区分される。

 下部層は、北九州市小倉南区鱒淵付近を中心に分布し、本調査地域の北西部にわずかにみることができる。岩相は、下半部では主に泥質岩からなり、砂岩・チャート等をともなう。上半部は主に変斑れい岩・変花こう閃緑岩類等からなり、泥質岩をともなう。下半部・上半部ともに石灰岩の小岩体をともなう。

 中部層は、主に企救半島から平尾台北麓にかけて分布し、本調査地域の平尾台北側にみることができる。岩相は、主に砂岩・粘板岩とその互層からなり、礫岩・チャート・緑色岩・石灰岩をともなう。

 上部層は、東から北九州市門司区恒見付近・平尾台・香春町香春岳-田川市岩屋・船尾山地域に分かれて分布し、本調査地域の平尾台一帯がこれにあたる。岩相は主に石灰岩からなり、大きな岩体として分布する。平尾台の石灰岩は上部層最大の岩体で、北東-南西6km、北西-南東2kmに及び、千仏鍾乳洞、牡鹿洞・青龍窟等の鍾乳洞が形成されている。

 
c.花こう岩類

 本調査地域の山地の広い範囲で分布しており、三郡変成岩・呼野層群に貫入している。本調査地域内では全体的に風化が進み、マサ土が厚く発達している。

 福岡県東部の花こう岩類は、添田花こう閃緑岩、平尾花こう閃緑岩、真崎花こう岩、油須原花こう岩、勝山花こう岩の5岩体に分けられるが、本調査地域内では平尾花こう閃緑岩が行橋市周辺、貫山山塊等に分布し、ほとんどを占めている。

 
d.段丘堆積物

 本調査地域では段丘面上に礫層、砂礫層が広く分布しており、段丘面の形成時期と対応して豊津礫層、新田原礫層、泉砂礫層に分けられる。また、阿蘇火山の大規模な噴出物である阿蘇-4火砕流堆積物が、行橋市長井~稲童浜等に分布している。

 豊津礫層は、花こう岩の上に露出する淘汰の悪い河成礫層で、安山岩、花こう岩、石英の円礫からなり、豊津町豊津一帯に分布する。新田原礫層は、主に安山岩の円礫からなる礫層で、行橋市稲童一帯の段丘上に広く分布している。泉砂礫層は、行橋市泉、大久保、勝山町黒田等に分布する河成の砂層、礫層である。

 
e.沖積層

 河川沿いの低地や海岸に面した低地に広く分布し、長峡川・今川河口付近で18~25mの層厚を有する。河川の上流域~中流域では礫層・砂層を主体とするが、河口付近では砂層・泥層が主体となる。

 

II-3.海域の地形

1)地形の概要

 調査海域は周防灘西部の沿岸(図-1)に位置する。

 海域の距岸は北部で約19km、南部で6kmあり、極浅海~浅海域である。

 区域内の最深部は北東端に位置し、水深は14.9m程である。

 海底地形の概観は、後背沿岸陸部の地形(行橋平野)が反映され、一部を除き、きわめて単調な形状となっている。

 すなわち、等深線の走向は海岸線に平行して北北西-南南東で、ほぼ直線状を呈し、且つ、地形はきわめて平滑化されている。

 地形の勾配は極浅海の一部を除き、1~3/1000であり、極浅海より浅海に漸移して緩くなり、東北東に傾斜している。

 海岸付近の地形は河川から供給される現世堆積物に支配され、河口付近では三角州特有の地形が発達し、河口以外では平坦な浜が幅広く帯状に分布している。

 また、海域の北部には凹地状に刻まれた航路浚渫地が認められる。

 図-17に海底地形図、図-18に海底地形分類図を示し、以下に分類図に準拠して、それぞれの形状について記述する。

 
 

2)地形各説
  a.潮間帯・極浅海域

 本域は海岸線より、水深7~8m前後の海域であり、平坦面~緩斜面で形成されているが、北部は苅田港の人工泊地になっている。

 図-18に示すとおり、特徴づける地形面は、上位より、浜、潮汐平地、頂置面、前置面、緩斜面、基盤起伏地形及び漸移帯である。

浜は祓川以南の海岸線に平行して幅100~300mで帯状に分布している。
祓川~稲童浜では幅100m前後で、比較的狭小となり、稲童浜以南では300m前後を呈し、発達が良いが、小河川と構造物で連続性を断たれている。
潮汐平地
三角州の一部を形成するこの地形は、本域に流入する河川(貫川・長峡川・今川・祓川)の河口の周辺に形成され、区域の北部と中部に発達している。
貫川河口周辺では、幅(距岸)約2km程に達し、北方の区域外へと連続する。
長峡川・今川・祓川の河口周辺では三角州の一部として堆積している地形である。この平地は河川の澪により断続するが、それぞれ舌状を呈している。
頂置面
長峡川・今川・祓川の河口では、水深3~4mの前置面へ移行する頂置面があるが、潮間帯に位置することから潮汐平地として分類した。
前置面
三角州の前進に伴って形成される地形であり、頂置面から遷急線で移行する面である。
分布域は長峡川・今川・祓川河口の潮汐平地外縁付近に限定され、幅50m前後、勾配は2~3/100程であり、比較的急峻となっている。
緩斜面(中部緩斜面・下部緩斜面)
この面は河口周辺以外の海域に分布する面であり、区域の北部と南部にみられる。
北部では潮汐平地より連続し、幅1km前後に亘って帯状に分布し、勾配は0.2/100前後で、きわめて緩い。
南部では浜より移行する面であり、分布幅は300m前後で北部に比し狭小である。勾配は1~3/100を程し、中部緩斜面から下部緩斜面にかけて増大する。
基盤起伏地形
この地形は区域南部の下部緩斜面外縁より水深7m前後の海域と、北部の島しょ周辺(羽島・毛無島・神ノ島)にみられる。
前者は河川から供給される漂流砂の影響が比較的少なく、且つ、後背の沿岸陸域地質は変成岩類、礫岩及び火砕流堆積物(図-16)が分布することもあって、調査海域内で唯一小起伏地形が認められる海域である。分布幅は500~1000mで、長井沖より区域の南縁まで帯状にみられるが稲童浜沖では狭小となっている。長井沖では孤立した小起伏地形がみられ、稲童浜の南東方には比較的小規模のバー状の地形が認められる。
後者は比較的急峻な斜面を持つ島しょ地塊の露出であり、露出幅は下部外縁より50~100mである。
漸移帯
漸移帯は下部緩斜面、前置面より移行し、沖合平坦面へと連結する面である。
水深は4~8mの海域であり、南部では基盤起伏地形の沖側に分布する。 
分布幅と勾配は中~南部で1000~1500mと0.2~0.5/100、北部では3000mと0.1/100前後である。
b.浅海域

 浅海域(水深約8m以深)では平坦面が形成され、当該海域の海底地形を支配している。

 地形の勾配は0.1/100前後を呈し、東北東へきわめて緩く傾斜している。

 等深線の屈曲はなく、ほぼ直線状を呈し、現世堆積物で被覆され平滑化されている。

 海域の北部には平坦面を凹地状に刻んだ航路浚渫地がみられる。航路は幅250mであり、港口より東北東に長さ8kmに亘って浚渫され、現在の維持水深は10mとなっている。

 

II-4.底質の状況

 本調査海域における底質採取地点は図-19に示す105点である。採取試料は全点において粒度分析を実施した。

 底質区分は、Wentworth(1922)によって提唱された粒径区分に基づいて分類を行った(図-20)。混合底質の場合は、礫・砂・泥の重量百分率を三角ダイヤグラム上に展開して区分した(図-21.混合底質の分類基準(数字は重量パーセント))。粒度分析結果から、表-6(粒度分析結果一覧表その1その2その3)に示す粒度分析結果一覧表を作成し、土粒子の密度、中央粒径値(Mdφ)、淘汰度(σφ)及び歪度(SK)について検討を行った。

 
 

1)底質分布

 採取試料の観察結果及び粒度分析に基づいて、底質分布図を作成した(図-22)

 本調査海域は、ほぼ全域が泥の分布域であり、海岸線付近に帯状に砂及び砂まじり泥の分布域がわずかに認められる。

 
a.砂

 砂は、海岸線に平行する帯状の分布域と蓑島沖に孤立する分布域の2ヵ所認められる。

 前者は区域南から苅田港まで連続して分布し、曽根の前面海域には認められない。分布水深は概ね3m以浅であるが、稲童漁港北方沖では水深6m付近まで分布域を広げている。また、苅田港出口に位置する神ノ島付近でも水深6m以浅まで分布域を広げている。

 後者は蓑島沖の水深8m付近の孤立した分布域である。この分布域は、養殖のために養浜したものであり、分布範囲は概ね等深線と平行に幅約500mで長さ約1800mである。地形的にも緩い高まりを形成している。

 
b.砂混じり泥

 砂混じり泥は、沓尾沖と神ノ島沖に認められ、いずれも砂の分布域の沖側に位置している。

 前者は、水深2~7mで南北約2900m、東西約800mで分布している。後者は概ね7m以浅であり南北約2400m、東西約1000mで分布する。

 
c.泥

 泥の分布域は、本調査海域の大半を占めている。粒径的には、No.48の粘土(Cy)を除きすべてシルト(Si)であり非常に均一な泥で構成されている。

 
d.岩

 岩は、稲童漁港の北側に孤立して2ヶ所認められ、どちらの分布域も東北東-西南西に長軸を持っている。北側の分布域は長さ約90m、幅約20m、比高約3m、南側の分布域は長さ約60m、幅約20m、比高約3mである。

 これらの分布域の周辺にも地形の凹凸が認められるが、音波探査記録から薄く堆積物が被覆していると考えられる。

 
 

2)粒度分析結果
 
a.土粒子の密度

 土粒子の密度は、底質を構成する土粒子が緻密な鉱物であれば大きな値を示し、空隙の多い粒子(有機物等)であれば小さな値を示す。

 土粒子の密度試験は、粒度分析を実施した105試料の全地点で実施した。その結果は、2.527~2.740g/cm3の範囲である(図-23)

 最小値は、苅田港の沖合約10.5kmの地点(No.94)であり2.527g/cm3を示す。底質はシルトであり、シルトと粘土を合わせた泥分は99パーセントである。

 最大値は、沓尾沖約0.5kmの地点(No.60)であり2.740g/cm3である。底質は細砂を示し砂分84.9パーセント、泥分15.1パーセントである。

 
b.中央粒径値(Mdφ)

 中央粒径値とは、堆積物の粒度分布を積算曲線(累積曲線)で表し、この曲線と積算百分率50%の線との交点の粒径値(φ50)である。

 粒度分析の結果は、細砂~粘土を示す2.0~8.0φであった。中央粒径値の等深線を図-24に示す。

 本調査海域は、シルトを示す4.0~8.0までの値によって概ね占められている。特に沖合部では、6.0~8.0までの値に占められており、非常に均一な粒径にて構成されている。例外的に蓑島沖には、細砂を示す2.1の値が認められるが、この地域では養殖の為に砂を投入して養浜が行われており、この養浜の土砂を採取した為と考えられる。

 沓尾沖0.5kmの地点(No.60)では、自然海底で唯一3.2と細砂の値を示している。

 
c.淘汰度(σφ)

 淘汰度とは平均粒径のまわりに粒度がどれほど集中するかを示す尺度である。この値の絶対値が0に近いほど粒径が揃っている。平均粒径及び淘汰度は下式にて算出した。
 

         平均粒径
           X=(φ84+φ50+φ16)/3
 
         淘汰度
         σφ=(φ84-φ16)/4+(φ95-φ5)/6.6 
 

 粒度分析を実施した105試料のうち淘汰度を算出できたのは、砂質を示す沓尾沖0.5kmの地点(No.60)と蓑島沖2.0kmの地点(No.62)の2点のみであった。

 沓尾沖は0.90の値を示し淘汰の普通な底質、蓑島沖は2.63の値を示し淘汰のかなり悪い底質となる。蓑島沖の地点では、やはり特異な値を示すが養浜の影響である。

 
d.歪度(SK)

 粒度分布において、頻度曲線のピーク値(最頻値)が平均粒径(X)からどのくらいずれているかを表すものである。この値が負の場合は頻度曲線が細粒側に、正の場合は頻度曲線が粗粒側に偏っていることを示す。歪度は下式にて算出した。
 

         歪度
       SK=(φ16+φ84-2φ50)/2(φ84-φ16)+(φ5+φ95-2φ50)/2(φ95-φ5)
 

 粒度分析を行った試料のうち、歪度を算出できたのは、淘汰度と同様に沓尾沖0.5kmの地点(No.60)と蓑島沖2.0kmの地点(No.62)の2点のみであった。

 前者は0.32、後者は0.44であり、粗粒側に偏った値を示している。


 

II-5.海域の地質

 海域の地質調査は、音響測深機による測深作業と同時に音波探査により実施した。音波探査機は磁歪振動式(ソノプローブ)と放電式(スパーカー)を併用した。ソノプローブは主に沖積層等の表層堆積物を対象とし、スパーカーは主に基盤である洪積層以深の地層を対象とするものである。

 音波探査記録の解析により、本調査海域における海底地質層序・地質構造等の検討を行い、図-27に基盤等深線図、図-28に沖積層等層厚線図、図-29にボーリング資料対比図を示した。また、本報告書に掲載した地層断面の位置を図-30に、地層断面図を図-31(凡例その1その2その3その4その5その6その7その8その9その10その11その12)に示す。さらにブロックダイアグラムを図-32に示す。音波探査記録例及び資料収集によるボーリング柱状図は、巻末に付図として添付した。

 
 

1)地質概要

 音波探査記録から音響反射パターン及び堆積形態等の特徴を読み取り、調査海域に分布する地層を区分するとともに、その音響的な層序の検討を行った。また、空港島連絡道路調査のボーリング資料(福岡県新北九州空港連絡道路建設局,1995)と比較検討して年代対比を行った。

 本調査海域における地層区分と、音波探査記録における特徴を表-7に示す。

 
 

2)地質各説
  a.A層(沖積層)

 A層は調査海域の表層堆積物で、下位層が岩礁部分となる範囲を除き、侵食面を埋積して調査海域全域に分布している。音波散乱層が、航路浚渫地や空港島西側の改変工事区域等に認められ、本層の内部情報は読み取れない。本層は、音響的な記録パターンの相違や堆積形態等の相違に基づいて上位よりA1~A3層に細分される。

 A1層は、ソノプローブ記録上音響的透明層であり白く抜けるパターンを、スパーカー記録上では淡い縞状パターンを示し、細粒な泥質堆積物~砂質堆積物により構成されていると考えられる。本層は、下位層上面の非常に平滑な地形面に堆積しており、層厚の側方変化は非常に緩やかである。区域全体としては、水深を増す北東方向に層厚を増し最大約10m、区域南に向かい層厚を減じ稲童前面海域ではせん滅している。

 A2層は、ソノプローブ記録上淡く濁ったパターンや黒く濁ったパターンを示し、部分的に内部層理の認められる箇所もある。スパーカー記録上は、A1層と同じ淡い縞状パターンを示す。本層は、上面の比較的強い反射面によりA1層と区分され、下位のA3層やD層の凹地を埋めるように堆積し、層厚は5~6m前後であり、側方変化は著しい。海域南西部の稲童前面海域では、本層が直接海底に露出し、層厚は1m前後である。音響パターンから細粒な砂質堆積物により構成されると考えられ、本層が海底に露出する部分では粗粒になっている。

 A3層はソノプローブ記録上黒く濁ったパターンを示し、部分的に淡く抜ける箇所や内部反射の認められる箇所もある。スパーカー記録上では比較的鮮明な縞状パターンや弱い散乱パターンを示す。本層の分布域はD層の凹地部に限られており、層厚は側方変化が著しく、最大約5mである。全体的な傾向としては、北西側に厚く堆積する傾向があり、南西側沿岸域には分布しない。本層は、音響パターンから粗粒な砂質堆積物や一部に砂礫堆積物から構成されていると考えられる。

 以上のようにA層は、未固結堆積物からなる本調査海域の最上位層であり、下位層上面の侵食面を埋積して分布している。これらの事から、本層はウルム氷期の最大海退期以降に堆積した沖積層に対比される。最下部のA3層は、一部に砂礫層が認められことからウルム最大海退期から堆積を開始し、上面が侵食されていることから一時期海退に転じ、その後より細粒な堆積物である陸成のA2層(陸成氾濫原堆積物)、海成のA1層(高海面期堆積物)が順次堆積したと考えられる。

 図-27基盤等深線図は、A層基底の古地形を示したものであり、等深線の間隔は5mである。これを概観すると数条の埋積谷が認められ、特に区域北東部から苅田港に向かう埋積谷は谷幅も約2kmと広く規模が大きい。谷の断面形状は、谷底が比較的に平坦なU字形を呈している。区域中央部にも谷幅約0.5kmの埋積谷が2条認められ、南東部には1条認められる。埋積谷の方向は、北部と中央部では概ね東北東-西南西であるが、南部では北北東-南南西となる。

 図-28沖積層等層厚線図は、沖積層の分布状況を等層厚線で示したもので、等層厚線の間隔は5mである。層厚は概ね5~10m前後を示すが、埋積谷で厚く堆積し10~15mとなっている。蓑島から南側沿岸部では、薄くなり5m以下となっている。

 
b.D層(洪積層)

 D層は、下位層が海底に露出する部分及び下位層の分布深度が浅い部分を除き、調査海域のほぼ全域に分布している。A層と同様に音響的な記録パターンの相違や堆積形態等の相違に基づいて上位よりD1~D3層に細分される。D層上面の形状等はソノプローブ記録で確認を行ったが、D層内部の細分等については記録器の探査限界を超えるためスパーカー記録から実施した。

 D1層はD層の最上位層で、その上面は非常に起伏に富んでいる。分布形態及び音響パターンにより、さらに上位よりD1'、D1、D1"層の3層に細分される。

 D1'層は、ソノプローブ記録上は黒く濁ったパターンを示し、スパーカー記録上は弱い散乱パターンや淡い縞状パターンを示す。本層はD層上面の凸地部に位置し、侵食により削り残された堆積層と考えられ、その分布は非常に限られ平面的に連続しないことから、区域全域において細分できなかった。その分布形態や音響パターンから阿蘇4火砕流堆積物の可能性があるがボーリング資料等との明確な対比はできなかった。

 D1層は、スパーカー記録上やや連続性の悪い縞状パターンを示し、部分的に散乱パターンを示す箇所も認められる。調査海域のほぼ全域に分布するが、下位のR層が凸地状に海底下浅部まで認められる箇所ではこれにアバットして尖滅する。層厚は、概ね10~15mであり、音響パターンから砂礫質堆積物と考えられる。

 D1"層は、スパーカー記録上連続性の良い縞状パターンを示し、部分的に弱い散乱パターンを示す。分布は、深度30~35m以深の調査海域東部であり、海域西部でD2層にオフラップしている。層厚は、沖合に向かい増し、確認できる範囲で約15mである。本層は、音響パターンから砂質堆積物により構成されると考えられる。

 D2層は、スパーカー記録上淡い連続性の良い縞状パターンであるが、乱堆積したような内部反射が部分的に認められ、上面の強い反射面により上位層と区分される。層厚は、下限が探査深度の限界を超えるため不明であるが、沖合に向かい順次増し最大95mまで確認できる。分布深度は15m以深であり、区域西部では下位のD3層にオフラップして尖滅する。本層は、音響パターンから砂質堆積物により構成されると考えられる。

 D3層は、スパーカー記録上、上面が非常に強い反射を示し、その形状は沖合に向かい階段状に落ちていく非常に特徴的なものである。反射パターンは、淡い縞状パターンを示すが明瞭ではない。層厚は、探査限界を超え不明である。本層は、音響パターンから砂質堆積物により構成されると考えられる。

 以上のようにD層は、A層(沖積層)に顕著な不整合で覆われており、音響パターンから主に砂質堆積物により構成され洪積層に対比される。

 
c.T層(第三紀層)

 T層は、スパーカー記録上淡い縞状パターンを示し、上面形状は起伏に富んでいる。分布形態は、下位のR層にアバットしている。分布が確認できるのは、苅田港前面海域のみであるがR層が分布する蓑島から稲童の前面海域にも分布する可能性がある。

 本層は、下位のR層にへばりつくように分布しており、空港島連絡道路調査のボーリング資料と比較検討した結果、第三紀層に対比される。

 
d.R層(基盤岩類)

 R層は、スパーカー記録において上面が非常に起伏に富む強い反射を示し、上位層との区分は容易である。内部は、散乱するパターンが顕著であるが、部分的に層理面が確認できる箇所もある。本層は、本調査海域の音響的基盤層である。

 分布範囲が確認できるのは、苅田港から稲童前面の沿岸域のみである。

 本層は音響的基盤層であり、空港島連絡道路調査のボーリング資料と比較検討した結果、先第三紀層に対比される。

 
 

3)地質構造
 
a.断層・褶曲

 本調査区域の周辺北部陸域には呼野層群を変形させる北東-南西方向や北西-南東方向の断層及び北東-南西方向の褶曲が認められるが、海域の相当層は音響基盤のR層であり、記録上でこれらの構造を判別するのは非常に難しく断層・褶曲は確認できなかった。

 
b.走向・傾斜

 R層及びT層は、上面が非常に起伏に富む層であり、連続して同一の層理面を追跡することが難しく、本層の走向・傾斜を測定することは出来なかった。

 D層は、D2層のように内部に乱堆積した形態を示す層もあるが、全体的にほぼ水平層と推定される。

 A層は、概ね水平な堆積構造を示している。

 
 

4)地質構造発達史

 本調査結果及び既存資料(福岡県新北九州空港連絡道路建設局,1995、中江ほか,1998及び海上保安庁水路部,1999)を参考に地質構造発達過程をまとめると以下のようになる。

 本調査地域は三郡帯に属し、中国地方の三郡-中国帯の西方延長にあたり、北東-南西方向の帯状構造を持っている。これらの構造区分が形成されたのは、白亜紀初期と考えられている。

 古生代石炭紀からペルム紀には呼野層群が形成された。呼野層群は陸源性砕屑岩類と海洋性岩石類から構成されて複雑に混合している。この形態は、海洋性プレート上の海山がその周辺の遠洋性堆積物を伴い海溝に到達し、大陸から供給された陸源性砕屑物と混合変形したものと考えられている。本層群は、下位の三郡変成岩と断層関係により接している。

 本調査区域周辺では、中生代白亜紀の中頃から激しい火山活動が始まり、広域変性作用や花こう岩の貫入がおこった。

 本調査海域の音響基盤のR層は、これらの三郡変成岩、呼野層群及び花こう岩により形成されている。

 第三紀には、周防灘を中心に瀬戸内海を挟み山口県宇部地区に模式地がある宇部層群相当層が堆積した。宇部層群は宇部炭田を構成する層であり、凹凸のある基盤上に堆積し、きわめて小さな湖盆の集合である堆積盆地に形成されている。堆積環境は、内湾的環境で、亜熱帯~温暖帯の気候下にあり、主に淡水域に堆積した。本調査海域では、この時期にT層が堆積した。

 第四紀更新世になり、氷期が繰り返され段丘堆積物が形成された。また、この時代の九州地方は火山活動が非常に活発であり、本調査地域にも火山噴出物が幾重にも堆積した。本調査海域では、この時期にD層が堆積した。

 約100万年前には、大分県西部九重火山を噴出源とする火山砕屑物(耶馬渓層)が本調査区域まで到達し、基盤岩を被覆して広範囲に堆積した。その後、この耶馬渓層は一部を残しほとんど侵食され、侵食された凹地には河川の氾濫原堆積物が堆積した。

 20万年以前には、海水面は現在よりも低く陸上部では大きな河川が蛇行して流れ、洪水時には流路を変更し、側方侵食と堆積を繰り返しながら平野が形成された。これにより、粘土と砂の堆積物がレンズ状に堆積した。

 20万年前には、河川により粘土及び砂の堆積物が浸食され大きな凹地を形成し、その後の海水準の上昇により安定した堆積盆の中で厚く連続性が良好な海成粘性土層が堆積した。この粘性土堆積時に阿多鳥浜(Ata-Th)火山灰(下山ほか,1999)が降り積もっている。この上部には下末吉期の非海成砂層及び海成粘性土が堆積している。

 おおよそ8.5万年前~9万年前に阿蘇カルデラから噴出した巨大火砕流堆積物(Aso-4)が本調査区域にも到達し堆積した。

 約1.8万年前には、阿蘇火砕流堆積物は洪積台地を形成していた。海水面は低下を続け(ウルム氷期)洪積層及び火山灰層は侵食され、侵食面上には姶良カルデラを噴出源とする火山灰層が降り積もった。その後、気候温暖化による海進が始まりA3が堆積した。

 約1万年前の第四紀完新世初期には海水準の停滞期があったが、その後再び上昇に転じ、陸成のA2層・海成のA1層が堆積した。この堆積過程の中で約6300年前には鬼界カルデラ起源の火山灰(K-Ah)が本調査区域まで到達して粘土層中に挟まれて堆積した。その後、海水準は後退し(弥生海退)現在にいたる。

 
 

5)隣接地域との対比と検討

 本調査海域周辺には、空港島連絡道路建設の為のボーリングデータ、海上保安庁海洋情報部実施(当時は海上保安庁水路部)の「関門海峡付近」「宇部南部」等の既存資料がある。

 本調査では、現地作業時にボーリングデータを考慮して測線を設け直接対比を行った(図-29参照)。また、既存資料と年代対比した対比表を表-8に示す。

 海上保安庁が実施した既存調査との直接対比では、測線交点の深度分布及び記録パターンから(特に階段状に落ちる上面形状等)、本調査のD3層と関門海峡付近のIV層が一致しており、年代対比との矛盾を生じている。しかしながら、本調査では福岡県新北九州空港連絡道路建設局(1995)のボーリング資料を主として考え年代決定を行った。

 また、石井・下山・松田(1994)は、空港島付近のボーリング資料からAso-4分布深度が約-13mとしている。この深度は本調査のA1層とA2層の境界面に相当する可能性があるが、福岡県新北九州空港連絡道路建設局(1995)のボーリング資料では、A2相当層はN値が1以下となり地質解釈でも沖積層としていること、調査海域全体を通じてA2層上面は非常に平坦な形状を示し、ウルム氷期の最大海退期の谷地形が無いことからA2層を沖積層とした。


 

II-6.気象・海象

1)海象
a.潮汐

 瀬戸内海の潮汐は、外海に生じた潮汐が諸水道を通って内海に波及しておきる。一般に本調査海域が位置する瀬戸内海西部は、潮差が大きく日潮不等は比較的小さい。図-33に潮流及び潮汐曲線を示す。

 本調査海域における潮汐は、図-5.簡易験潮所設置諸元(潮位関係図)に示したように、朔望平均満潮位(朔望時の高潮の平均潮高)がT.P.+1.912m、朔望平均干潮位(朔望時の低潮の平均潮高)がT.P.-2.048mである。

 
b.潮流

 周防灘では、一般に上げ潮流は西方に、下げ潮流は東方に流れ、高・低潮約40分後に転流する。関門海峡付近を除けば流速は小さく最強1.5knを超えない。また、流速・流向は日によって著しく異なることがある。図-34(その1その2 )に関門海峡(早鞆瀬戸)潮流図を示す。

 苅田港付近の潮流のパターンは、下げ潮において初期はESE方向に流れ出し、最強時にはSEに、さらにSSEとなり、時計回りの向きに変わる。上げ潮の初期はNWで、次第にWNWからNNWの向きに流れが変わって行く。流速は、下げ潮の表層4~20cm/S、上げ潮の表層5~19cm/S、底層0~11cm/Sで表層の方が少し速い。

 恒流では、表層がES方向に2.0~7.8cm/S、底層はそれを補う形でNW方向に0.7~4.4cm/Sであった。調和分析によると、この海域の潮流は半日周期(M2)が卓越し、潮汐による潮流である。

 
 

2)気象

 本調査地域は九州北東部に位置し、瀬戸内海気候区に属している。瀬戸内海気候区は、降水日数が著しく少なく降水量も少ない、日照率の年変化が小さく年間を通して日照が多く、乾燥しやすい特徴をもつ。

 福岡県は、台風常襲地帯であり風害、水害、高潮害等の被害を受けることが多い。台風は7月から9月を中心として接近・上陸するが、秋に接近・上陸する台風は大型が多く、また日本付近に前線帯が存在することがあるため、大きな水害を伴いやすい。

 高潮は、台風が九州を縦断するか斜断するとき、または九州の西海上をとおり対馬海峡を進む時に周防灘沿岸、玄海灘沿岸及び有明海沿岸で、満潮時に沿岸に向かい直角な強風が吹くときに起こりやすい。本調査地域が被害を受けた風水害は多数あるが、明確な資料として記録されているものを表-9に示す。

 調査地域内には、行橋に経年観測地点(アメダス82101)があり、この気象データを収集した(観測所気象年報,2002、観測所気象年報,1979-2000年統計データ)。これらの気象データより作成した降水量、気温のグラフを図-35図-36に示す。

 降水量は、年平均(1979-2000年)1794.4mmであり、多い年で2200mm程度、少ない年で1300mm程度とやや変化が大きい。九州平野部の年平均は2000~2500mm、山間部で3000mmであり、九州の中で本地域は小雨地域である。2002年の降水量は1464mmであり、統計データと比較した場合に少なくなっており、月毎で比較した場合5月は例年より多かったものの、6月と7月が例年に比べて少なく空梅雨だったことが伺える。

 気温は、年平均(1979-2000年)15.2ºCで、最高気温の年平均は19.3ºC、最低気温の年平均は11.1ºCであり、九州の平野部としては寒い地域である。2002年の平均気温は、統計データと比較した場合に、概ね各月ともに1~2ºC高い値を示し、わずかに11月のみ統計値より低い値となっている。

 風の平均風速(1979-2000年)は、1.5m/secで年間を通して1.3~1.75m/secであり、非常に平穏な地域となっている。最大風速は10~15m/secであり、冬季の2月と台風シーズンの8月と9月に認められるが、出現頻度は非常に少ない。最多風向(2002年)は、8月から4月ではW~WSW、5月から7月ではE~ENEとなっている。

 日照時間は、平均年合計(1979-2000年)で1741.1時間/年である。