一等三角点「氷ノ山」の柱石交換を実施

一等三角点「氷ノ山」ー三角点柱石131年ぶりに下山ー

一等三角点「氷ノ山(ひょうのやま)」

 日本の近代測量の基本となった三角測量は、工部省測量司が明治4年にイギリス人 マクヴインの指導のもとで、東京府下に13点の三角点を設置したことに始まります。その後、明治8、9年には、開拓使が米人ワッソン、デイの指導により、北海道の南部と中央地域を中心に約50点の観測を実施しました。ついで、明治7年内務省地理寮が、前記測量司の仕事を引き継ぎ、明治8年に関八州大三角測量として測量を開始し、その後全国測量と改称して全国の国境の測量を始めました。
 明治15年には、この三角点の選点 100点が終了し、明治17年からは陸軍参謀本部測量局がこの測量を引き継ぎ、いよいよ全国的な三角測量が始まりました。
 兵庫県の最高峰「氷ノ山(ひょうのせん)」にある一等三角点「氷ノ山(ひょうのやま)」は、明治19年8月に選点、明治21年7月に埋標され同年8月に観測が実施されました。

一等三角点選点図(明治19年度)

一等三角点選点図(明治19年度)
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 一等三角点の詳しい説明はこちらをご覧ください

柱石交換を実施

 明治21年に設置後、昭和2年、昭和60年及び平成11年に低下改埋がされています。平成11年の低下改埋の際には、周辺を木枠で囲ったうえで枠内を小石等で埋めて保護措置としていました(m単位で標高値が変わることがないよう処置)が、10数年を経て材木が朽ちてきたために木枠が大きく傾斜してきました。
 平成25年7月に近畿地方測量部において基準点現況調査を実施しました。三角点自体の現況は正常でしたが、木枠は結束用の番線と鎹(かすがい)によって原形をとどめている状態で、景観上及び安全面上からも保全作業が必要と思われました。
※「低下改埋」とは、露出している三角点を同じ位置に低く埋めなおすこと。

基準点現況調査(平成25年7月)1

基準点現況調査(平成25年7月)


 当初、低下改埋ができないため木枠のみの補修を計画していたましたが、柱石が破損していることが判明したため、柱石交換も合わせて実施する計画で準備及び関係機関と調整を行うことになりました。兵庫県養父市商工観光課との協議の中で、同市が計画している氷ノ山山頂の山小屋の改修で資材運搬にヘリコプターを使用する計画があることがわかったため、この計画に合わせ3回に分け隣接する中国地方測量部(広島)の協力のもと作業を実施することにしました。

第一次:令和元年7月21日(日)から24日(水)「山頂へ新三角点柱石を運搬」

 第一次では、旧三角点柱石の撤去及び山頂へ新柱石を運搬しました。22日は、ヘリコプターによる資材運搬のヘリポートとなった鉢伏高原スキー場へ新三角点柱石を持ち込み、スリング(荷吊り)するための準備をしました。
 23日の早朝、大段ヶ平登山口より氷ノ山山頂へ。10時からヘリコプターによる資材運搬が開始されるため、それまでに柱石撤去を完了する必要がありました。当日の山頂は、前日の天候不良を引きずり眼下はガスで覆われていました。視界不良で資材運搬作業が遅れたため、資材運搬開始までには撤去作業を完了させることができました。
 掘り出された柱石は、損傷が激しく胴体部は鉄板とボルトで補強されていました。

掘り出された直後の柱石頭部1

掘り出された直後の柱石頭部

掘り出された柱石1

掘り出された柱石

(参考)一等三角点構造図1

(参考)一等三角点構造図


※一等三角点標石の重さは、柱石が90kg、盤石が45kgもあります。
 私たちが通常見ているのは、標石全体のほんの一部でしかありません。上部から順に、柱石、盤石、下方盤石があり、平地部などには4つの保護石もあります。盤石と下方盤石は、柱石にもしものことがあったときに復元できるように設置されているもので、それぞれの中心線が一致しています。

 11時30分、視界が良くなったためヘリコプターによる運搬が開始されましたが、すぐに視界不良になり当日のヘリコプターによる運搬中止が決定されたため、撤去した旧柱石をスリングするための準備を行ってこの日は下山しました。
 24日の早朝、9時よりヘリコプターによる資材運搬が開始されるため大段ヶ平登山口より氷ノ山山頂へ。この日は予定どおり資材運搬を行うことができ、昼前には無事終了しました。10月の新柱石埋標に備え、資材等を整備し柱石が埋標されていた場所へ看板を設置して下山しました。

ヘリコプターで荷揚げされる新柱石1

ヘリコプターで荷揚げされる新柱石

山頂に設置された看板1

山頂に設置された看板

第二次:令和元年8月25日(日)から27日(火)「山頂より旧三角点柱石を運搬」

 第二次では、旧柱石の荷下ろしをしました。26日の早朝、10時よりヘリコプターによる資材運搬が開始されるため大段ヶ平登山口より氷ノ山山頂へ。予定どおり資材運搬が開始され、昼前にはヘリポートとなっていた鉢伏高原スキー場へ旧柱石等の資材が下ろされました。
 山頂より131年ぶりに下山した旧三角点柱石は、道の駅「ようか但馬蔵」で開催されたパネル展「近代測量150年」(令和元年10月9日~11月6日)で展示し、観光で訪れた方々に見ていただきました。現在は、近畿地方測量部で大切に保管しています。
※柱石頭部は掘り出された時のまま、胴体部は損傷が激しかったため途中で切断し補修しました。

一等三角点「氷ノ山」旧柱石展示風景1

一等三角点「氷ノ山」旧柱石展示風景

第三次:令和元年10月18日(金)から21日(月)「登山者の皆さんと新三角点柱石を埋標」

 第三次では、10月20日に兵庫県養父市観光協会主催による「氷ノ山紅葉登山フェスティバル」のイベントとして新標石の埋標をしました。19日は、翌日の埋標作業に備え早朝から山頂へ向かいました。当日の天候は雨。登山中に雨が激しくなり登山道も川のようになりましたが、午後には小雨になったため木枠の仮設置と埋標の準備を行い下山しました。

埋標作業事前準備(木枠仮設置)1

埋標作業事前準備(木枠仮設置)


 19日夜に開催された「氷ノ山紅葉登山フェスティバル前夜祭」で、柱石交換の内容を参加者の方々に説明しました。そして、「氷ノ山紅葉登山フェスティバル」のイベントとして、新標石の埋標の際に周辺を囲う木枠内に埋めて標石を保護するための玉石(総重量220kgのうちの100kg)を、フェスティバル参加者に運んでもらうこととしました。

 フェスティバル当日朝は、フェスティバル受付で玉石を配布する班と山頂で埋標の最終準備をする班に分かれて作業を実施しました。広報活動のおかげもあって受付で準備した玉石100kg(約180個)はフェスティバル参加者の手にすべて渡りました。

紅葉登山フェスティバル受付会場1

紅葉登山フェスティバル受付会場

受付で玉石を受け取る登山客1

受付で玉石を受け取る登山客

玉石(300gから500g/個)1

玉石(300gから500g/個)


 昼前から埋標作業を開始しました。山頂は、玉石を握った参加者でいっぱいでした。埋標作業は、鳥居を組むところから説明をしながら実施しました。参加者のほとんどは、当然のことながら初めて見る光景に大歓声でした。その後、埋標を完了した三角点の周辺に、参加者各自で持って上がった玉石を入れてもらいました。

新柱石埋標作業中の風景1

新柱石埋標作業中の風景

(参考)設置要領

(参考)設置要領
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玉石を木枠へ入れる登山客1

玉石を木枠へ入れる登山客


※三角点埋標の際、柱石の中心と盤石の中心は同一鉛直線上に一致させないといけません。いささか原始的ですが、「下げ振り」を使用し一致させます。また、柱石は「三角点」と彫ってある面を南に向けて設置することになっています。

 フェスティバル参加者すべてが下山したのを確認してから職員6名で持って上がった玉石(総重量220kgのうちの120kg)を入れて整備し、3年越しの柱石交換作業は無事終了しました。

一等三角点「氷ノ山」と国土地理院職員1

一等三角点「氷ノ山」と国土地理院職員


 兵庫県最高峰の一等三角点「氷ノ山(ひょうのやま)」兵庫県養父市
 北緯 35度 21分 14秒
 東経 134度 30分 50秒
 標高 1509.8m

 地理院地図(氷ノ山周辺の地図へ移ります)

 本作業では、多くの方に大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。(現場責任者 もりちゃん:写真前列左)

問い合わせ先

国土交通省国土地理院近畿地方測量部
測量課長 芝 公成  TEL 06-6941-4507(代表)
専門職 森田 和幸  TEL 06-6941-4708(直通)

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