測量・地図ミニ人物伝:柴田収蔵
「測量・地図ミニ人物伝」
柴田収蔵
(1820-1859)
「柴田収蔵自画像」(東洋文庫より)
柴田収蔵(しばたしゅうぞう)は、佐渡(さど)の四十物師(あいものし:魚のひものなどをつくることを仕事とする)で、名主でもあった長五郎の子として生まれました。
彼は、小さいときから読書が好きで、書や図書を写すことをこのんでしたといいます。
16歳の時から佐渡の石井夏海に絵などを学んでいましたが、絵図師量や地図作成も学んでふるさとに帰りました。
佐渡では、医業(いぎょう:いしゃ)を開いたものの、ここでも地理や地図に対する魅力(みりょく)に勝てず、地図の作成を始めます。
そして、自分で作った地球図を持って、江戸に出て、古賀謹一郎という先生につき、こんどこそ念願の?地理学の指導をうけました。
先生が幕府洋学所頭取(ばくふようがくしょとうどり)につくと、ここに採用され、地図作成にあたりました。
洋学所では、最新の情報が入った多くの地図を作成しましたが、長年の大酒がたたったのか40歳で亡くなりました。幕末に佐渡が生んだ異色の地理学者です。