測量・地図ミニ人物伝:リンドウ

「測量・地図ミニ人物伝」 

 

リンドウ

 

 明治五年(1872)に内務省(ないむしょう)に招かれて日本にきたオランダ人リンドウは、当時日本にきていた、他のオランダ人の技術者と同じように、河川、港湾(こうわん)などをせんもんにする技術者でした。

 

 彼の日本での測量の功績(こうせき)は、日本で最初の量水標(りょうすいひょう)や水準原標(すいじゅんげんぴょう)を作り、河川工事の基準(きじゅん)となる高さを決めたことです。家や畑などを水害などから守るための、河川工事をするためには、河の水の高さ(水位)を知ることが必要ですが、当時の日本ではその観測や測量をしていませんでした。

 

 リンドウは、上司の指示で利根川の関宿というところに量水標を作り、水位の測定をしました。また、銚子市の飯沼(いいぬま)や、江戸川、荒川の河口にも量水標を作り、銚子には水準原標と呼ぶ河川測量の基準の石をうめました。

 

 リンドウは、この原標から江戸川や荒川までの測量をして、それぞれの河川の水位の関係をもとめました。リンドウの作った量水標や水準原標は日本で最初のもので、工事のために大切に使われ、その後の河川工事の模範(もはん)になりました。