測量・地図ミニ人物伝:箕作省吾

「測量・地図ミニ人物伝」 

 

箕作省吾
(1821-1846)

 

画像:箕作省吾

 

 箕作省吾(みつくりしょうご)は、水沢領主の家臣佐々木左衛治の次男として生まれました。

 

 12歳のころには、水沢の蘭医(らんい:西洋医学をする医者)坂野長安について漢学と医学を学んでいましたが、15歳のときに父母が相次いで亡くなったのを機会に、江戸へ、そして京都へ行きました。そのとき各地の交通や名勝、地形などを見たことが、その後の地理学への興味(きょうみ)にいつながりました。
 学問を続けるうち箕作阮甫(みつくりげんぽ)の偉大(いだい)さにふれ、彼に学ぶため江戸に向かいました。

 

 箕作先生は、西洋医学を学び、シーボルトにも会い、幕府天文台につとめ、医学書や地理書の翻訳(ほんやく)にあたっていました。先生に蘭学を学んでいた省吾は、その才能を見込まれて三女と結婚し、養子となりました。

 

 地理学、特に世界地理に興味を持った彼は、「新製輿地全図(しんせいよちぜんず)」「坤輿図識(こんよずしき)」などの地図と地理書を書き、世界各国の位置、国勢、風俗習慣、宗教、産業などを紹介しました。
 これらの地理書は、この時期の学者などが、きそって読むほどの良い書でした。

 

 その後、結核(けっかく)にかかりながらも、次の地理書の作成にあたり、これを完成させました。そのときには、血をはいて、原稿を血に染めるほどの病気であったといわれ、同年26歳の若さで亡くなりました。