荒川放水路

 

◆荒川放水路

荒川放水路は明治44年(1911)着工で、移転を余儀なくされた住民は1,300世帯にもなります。
カシミール3Dで歴史的農業環境閲覧システム(明治前期に作成された迅速測図)に5mDEMを重ねると堤防内に移転前の集落が見て取れます(下図は千住、小菅付近)。ちなみに、迅速測図は、明治政府(山県有朋ら)が西南戦争では地図不足が苦戦をした原因であったことから、関東地方の平野部を三角点に基づかない測量で明治13年(1880)から作成した1/2万の地図です。

段彩図
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参考文献
  • 細井将右(2006):明治初期フランス人地図測量教育者ジュルダンとヴィエイヤールについて,創価大学教育学部論集第57号,p35-p45
  • 関東地方整備局荒川下流河川事務所:荒川放水路の変遷 http://www.ktr.mlit.go.jp/arage/arage_index017.html (accessed 19.Aug.2015)