1.三宅島の形成史

 三宅島は、東京の南方約180kmに位置し、面積55.5km2、直径約9km、伊豆諸島で3番目に大きい島で、約4000人の人々が住んでいます。三宅島は全島が1つの火山体(三宅島火山)からなり、水深300~400mの海底からそびえ立ち、最高点は標高818mに達します。三宅島火山をつくっている岩石は大部分が玄武岩に分類される黒っぽい岩石で、安山岩~デイサイトを主体とする日木の諸火山の中ではめずらしい存在です。

 三宅島火山は、伊豆一小笠原海嶺と呼ばれる海底の高まりの上にのっており、火山体の下には前期一中期中新世(約2000万年前ごろ)の地層が存在するものと考えられます(一色、1960)。

 後期更新世(約1万年~15万年前)になってこの付近の海底で噴火が始まり、火山砕屑物や溶岩が繰り返し噴出されて島が姿を現し、成層火山(先カルデラ成層火山)が形成されていきました(一色,1960)。

 約3000年前に大規模な噴火があり、山頂部が陥没してカルデラ(旧期カルデラ)を生しました(茅原ほか、1973 ; 一色、1984)。現在、標高300~400m付近にカルデラ縁がありますが、明瞭なカルデラ縁は西側の一部にしか残っていません。その後、旧期カルデラ内を中心に火山活動が続き、カルデラを埋め尽くすような多量の火山砕屑物や溶岩が堆積して、再び成層火山(後カルデラ成層火山)を形成していきました(一色、1984)。その後、後カルデラ成層火山の山頂付近には小カルデラ(新期カルデラ)が生し、さらにこのカルデラの南側に雄山と呼ばれる中央火口丘が形成されています。新期カルデラの南側は、中央火口丘からの噴出物で覆われて、カルデラ縁は明瞭ではありません。
三宅島の形成史