三宅島の噴火史
山麓での火山噴出物の研究によって、約3000年前の旧期カルデラ形成以降、1154年までに少なくとも13回の噴火があったことが判明しています。それらの噴火は、山腹噴火(側噴火)とその後の山頂火口からの火山灰放出が特徴的で、噴火間隔は69一300年、平均約200年ごとに起きています。そして315年の休止期をおき、1469年の噴火以降は噴火の様式が変わり、主として山腹における短期間の噴火の繰り返しに変わりました。噴火間隔は、21一69年、平均約50年ごとに起きています(一色、1984)。なお、有史時代における三宅島火山の活動記録は、「三宅島祥異」、「三宅島御神火之記下」などの文書によって明らかになっています(表-1参照)。 なお、三宅島の西北西に位置する神津島では838年に大噴火が起きて天土山ができましたが、この際に降下・堆積した流紋岩質白色軽石層が三宅島全域に分布しており、この地層を目印にして溶岩・火山砕屑物の前後関係を推定することができます。
年 月 日 | 噴 火 間 隔 |
噴火発生・溶岩流出場所 | 噴火期間 | 出典と備考 |
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1085(応徳2)年 |
69年 315年 66年 60年 48年 69年 51年 42~48年 24年 39年 66年 22年 21年 |
富賀平(西側山腹) | 不 明 | 壬生家系図 |
1154年11月 (久寿元年10月) |
赤穴-火の穴-赤場暁- シトリ(北東山腹) |
不 明 | 同 上 | |
1469年12月24日 (文明元年11月12日) |
笠地の北 (伝説:伊ヶ谷溶岩) (西側山腹) |
不 明 | 三宅島祥異 | |
1535年3月 (天文4年2月) |
山頂・ニホンダナ・ビヤク (南東山腹) |
不 明 | 同 上 | |
1595年l1月24日 (寛永20年2月12日) |
釜方(南東山腹) | 不 明 | 同 上 | |
1643年3月31日 (寛永20年2月12日) |
コシキ・今崎、榊山一夕景、錆 (南西山腹) |
約3週間 | 三宅島御神火之記下 阿古全滅(溶岩) 坪田被害(降下スコリア) |
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1712年2月4日 (正徳元年12月28日) |
桑木平(榊山)-竜根ノ浜 (南西山腹) |
約2週間 | 三宅島御神火之記下 阿古被害(泥水) |
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1763年8月17日 (宝歴13年7月9日) ~1769(明和6)年 |
山頂、薄本、新澪 (山項、南西山腹) |
6年間?(山頂火口) | 三宅島祥異 新澪池形成される |
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1811年1月27日 (文化8年正月3日) |
シトリ山中(北東山腹) | 約1週間 (噴出時間6時間程) |
三宅島御神火之記下 噴火後に激しい群発地震活動 伊豆に地割れ出現 |
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1835年11月10日 (天保6年9月20日) |
富賀平-笠地(西側山腹) | 約10日間 (噴出時間12時間程) |
三宅島御神火之記下 噴火後に激しい群発地震活動 崖崩れなどの被害あり 阿古に温泉湧出 |
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1874(明治7)年7月3日~6日 | 大穴南西-焼場 (北側山腹、噴出物量 1.6xl07m3) |
4~5日 | 死者1名 旧東郷被害(溶岩) |
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1940(昭和15)年7月12日~8月5日 | 山頂、神着-坪田 旧村界の谷付近 (北東山腹、噴出物量 1.9xl07m3) |
約23時間(山腹) 約25日間(山頂) |
死者11名、傷者20名 ひょうたん山形成 山頂火口内にスコリア丘形成 |
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1962(昭和37)年8月24日~26日 | 神着-坪田旧村界の谷付近 (北東山腹、噴出物量 1.0xl07m3) |
約30時間 | 噴火後の激しい群発地震活動で島民が島外避難 三七山形成 |
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1983(昭和58)年10月3日~4日 | 二男山、村営牧場、阿古、粟辺、新澪、新鼻(南西山腹、噴出物量 l.3xl07m3) | 約15時間 | 阿古(溶岩)・坪田 (降下スコリア)被害 |