3.地形解説

(1)成層火山体斜面
 三宅島火山は、1で述べたように二重のカルデラをもつ成層火山ですが、カルデラ縁は西側を除き明瞭でないため、本図では先カルデラ成層火山と後カルデラ成層火山を一括して成層火山体斜面として表示しました。島を取り巻く海食崖を見ると、溶岩と火山砕屑物の厚い互層が露出しており、成層火山体の内部構造を一部ではありますが、かいま見ることができます。

(2)中央火口丘
 新期カルデラ内にある中央火口丘:雄山は、八丁平と呼ばれる火口原から約120mの高さを持つ小さな成層火山です。中央火口丘の形成時期は前述の9世紀の白色軽石層との関係から古墳時代にさかのぼると思われ、1763年噴火の時は6年間山頂噴火が続いたとされています(宮崎、1984)。 1940年の噴火で山頂火口の一部が噴出物で埋められ、スコリア丘が形成されました。このスコリア丘の北西麓には溶岩が台地状に流出しています(津屋、1941)。現在この溶岩流の末端から水蒸気が盛んに噴出しており、雄山サウナと呼ばれています。

(3)側噴火による火山地形
 三宅島火山の最近の噴火様式は、玄武岩質マグマの特徴的な噴火様式であるスコリア噴出と溶岩流出を主とします。 1940年・1962年・1983年の各噴火の詳しい観察によると、山腹地点で噴火が始まると、多数の小火口が山頂方向と山麓方向に次々に出現し(割れ目火口)、これらの火口から灼熱した火山弾やスコリアが空中へ噴き上げられる(溶岩噴泉)と同時に溶岩を流出します。(写真-1参照)
1983年の噴火の様子

 三宅島の溶岩は、アア溶岩と呼ばれるコークス状の表面をしたタイプで、粘性が小さいので流れやすく、火口から谷地形に沿って流下します。これまで溶岩流によって山麓の集落はたびたび被害にあってきました。特に、1643年・1763年と1983年の溶岩流、1940年と1962年溶岩流の一部が同じ経路をたどって流下しています。これらの流路沿いにおいては、文献・空中写真判読から、より新しい溶岩流に覆われて現在は見られない有史時代の溶岩流の範囲を伏在溶岩流として表示しました。

 火口周辺では、その火口から噴出する火山弾やスコリアの堆積によってスコリア丘が形成されることがあります。特に南西山腹では、何回もの噴火が繰り返され、二男山スコリア丘、穴ニツスコリア丘など大きなスコリア丘も分布しています。北東海岸近くには1940年噴火でできたひょうたん山スコリア丘、1962年噴火でできた三七山スコリア丘があります。

 また、海岸近くに生じた火口では時にマグマ水蒸気爆発が発生します(写真-2参照)。これは、地下から上昇してくるマグマが地下水や海水と接触して起こるたいへん破壊力の強いもので、火山体の一部を吹き飛ばし、比較的直径の大きい火口(爆裂火口)を形成します。その火口周辺には既存の岩石片やマグマ起源の物質が堆積し、皿状の丘:凝灰岩リング(タフリング)が形成されます(写真-3参照)。三宅島では、島の東~南岸にかけて、三池、金層、水溜り(八重間)、古澪、新澪などの多くの爆裂火口があります。そのうち古澪は、直径約1000mもある三宅島最大の爆裂火口でその南半分には大路池があり、火口形成時のマグマ水蒸気爆発堆積物に埋没しているココマノコシ遺跡の年代(弥生時代中期)から約2000年前に形成されたと考えられています(国土庁、1987)。また新澪は、1763年の噴火でできた爆裂火口で、新澪池と呼ばれる池がありましたが、1983年の噴火で再び爆発が起こり、火口を西へ広げるとともに池が消失してしまいました。
1983年に新澪池で発生したマグマ水蒸気爆発の様子
1983年噴火で形成された凝灰岩リングの写真
(4)侵食・海岸地形と海浜堆積物
 三宅島火山には成層火山特有の多くの放射状の谷がきざまれていますが、通常は水は流れていません。 しかし、溶岩流下経路として谷は非常に重要と考えられますので、本図では谷線として表示しています。火山体を刻む谷線を見ると、北部に比べ南部の谷線の密度が低いことがわかります。これは、新期カルデラ形成以降、南部では噴火が頻繁に起こり、その噴出物が多量に堆積しているためと考えられます。また、谷斜面の崩落や侵食によって生じたと思われる、火口壁・カルデラ壁以外の大規模な崖地形を、海食崖とは別に急崖として図に入れています。

 三宅島の周囲に発達する海食崖の他に、溶岩などによる海岸線の前進で内陸に取り残された海食崖を旧海食岸として表示しました。大規模な旧海食崖は島の南西部に見られます。

 海岸地形は、磯部(1985)を参考にして海浜堆積物の種類により3つの海岸地形に分類しました。砂礫海岸は、最近噴火が起きて溶岩流やスコリア丘が生した区域の周辺や顕著な湾入部に発達しています。これは、新しいアア溶岩の岩片やスコリアが波によって運ばれて再堆積しだものと思われます。三池浜、大久保浜、錆ヶ浜など三宅島の主な海水浴場は、黒色玄武岩の円礫からなる砂礫海岸です。また粒径2mm以下の砂粒を主体とした砂浜海岸は、部分的にしか存在しません。巨礫海岸は、伊豆岬付近の海岸などに発達しています。径1~数mに及ぶ岩塊は、主にマグマ水蒸気爆発の堆積物中の岩塊や海食崖の後退による溶岩層の崩落に由来するものと考えられます。岩石海岸は、島の南部に多く発達しています。このうち、アア溶岩が海岸に流出し、溶岩流表面がほぼそのまま露出している部分は、溶岩流として表示しました。また、1643年噴火で錆ヶ浜の北方に流出し今崎をつくっている溶岩流(今崎溶岩;一色、1960)には、波食作用により一部に急崖が形成されていますので、海食崖として表示しました。