このサイトは、国土地理院中部地方測量部が作成した伊勢湾台風関連の自然災害伝承碑のサイトです。

現在、地理院地図に登録されている伊勢湾台風関連の自然災害伝承碑の一覧です。市町村ごと(順番は市町村コード順)に、登録順で掲載しています。

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伊勢湾台風殉難者慰霊之碑

伊勢湾台風殉難者慰霊之碑の写真
所在地 愛知県名古屋市千種区平和公園三丁目
場所(経緯度) 北緯35度10分20秒、東経136度58分56秒
建立年 1960年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日夜半に台風15号(伊勢湾台風)が襲来、高潮のため南部臨海地帯が浸水し、遭難者は約二千余名に及んだ。

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伊勢湾台風30年記念碑

伊勢湾台風30年記念碑の写真
所在地 愛知県名古屋市中区栄三丁目
場所(経緯度) 北緯35度09分46秒、東経136度54分32秒
建立年 1989年
碑文、伝承内容等 伊勢湾台風は、名古屋市西方をかすめる名古屋地方にとって最悪のコースをたどり、かつてない高潮を発生させた。名古屋市(当時の守山市、有松町、大高町含む)では、1881名に及ぶ尊い人命が失われた。この伊勢湾台風の記憶を後世に残すため、発災から30年が経った際に寄贈された記念碑である。

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伊勢湾台風浸水位標識

伊勢湾台風浸水位標識の写真
所在地 愛知県名古屋市熱田区内田町
場所(経緯度) 北緯35度07分07秒、東経136度54分22秒
建立年 1989年
碑文、伝承内容等 伊勢湾台風は、名古屋市西方をかすめる名古屋地方にとって最悪のコースをたどり、かつてない高潮を発生させた。名古屋市と当時の守山市及び有松・大高の両町を含む死者が1881人となり、熱田区内においては3名の尊い人命が失われた。この標識は、被災当時のこの付近一帯の最大浸水位を足下からの高さに置き換えて表示している。

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伊勢湾台風浸水位標識

伊勢湾台風浸水位標識の写真
所在地 愛知県名古屋市中川区春田三丁目
場所(経緯度) 北緯35度08分25秒、東経136度48分46秒
建立年 1989年
碑文、伝承内容等 伊勢湾台風は、名古屋市西方をかすめる名古屋地方にとって最悪のコースをたどり、かつてない高潮を発生させた。名古屋市と当時の守山市及び有松・大高の両町を含む死者が1881人となり、中川区内においては20名の尊い人命が失われた。

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伊勢湾台風記念碑

伊勢湾台風記念碑の写真
所在地 愛知県名古屋市港区港明一丁目
場所(経緯度) 北緯35度06分29秒、東経136度53分07秒
建立年 1962年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日午後9時頃、名古屋市を襲った伊勢湾台風(15号)は、市域の36%を濁流に巻き込み、1851人の尊い命を奪い去った。この母子像は、港区の無災害と発展を願い、昭和37年、旧港区役所の玄関右に建てられたもので、台座から2m下が浸水位である。

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伊勢湾台風浸水位標識

伊勢湾台風浸水位標識の写真
所在地 愛知県名古屋市港区入船二丁目
場所(経緯度) 北緯35度05分39秒、東経136度52分53秒
建立年 1989年
碑文、伝承内容等 この浸水位標識は伊勢湾台風被災30年にあたり設置したもので、被災当時のこの付近一帯の最大水深を表している。堤防の決壊や高潮、巨木の流出が主な原因となり、名古屋市(当時の守山市、有松町、大高町含む)では1881名に及ぶ人々が亡くなり、港区でも375名の尊い人命が失われた。

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観音公園慰霊の碑

観音公園慰霊の碑の写真
所在地 愛知県名古屋市南区観音町一丁目
場所(経緯度) 北緯35度05分58秒、東経136度54分19秒
建立年 1960年
碑文、伝承内容等 干拓以来140年、道徳学区独立から20年のあいだ繰り返された殉難と遭難とその壮烈と悲惨との数々を肝に銘じ、我等並びに子孫のよすがとすることを誓うものとして、伊勢湾台風から1周年にあたって建てられた。

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伊勢湾台風殉難者慰霊之碑

伊勢湾台風殉難者慰霊之碑の写真
所在地 愛知県名古屋市南区浜田町三丁目
場所(経緯度) 北緯35度05分13秒、東経136度55分27秒
建立年 1960年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日の伊勢湾台風は南区内で1417人の死者を出す大水害でした。2週間後に水が引くと、このあたりのアシの根元や田んぼに取り残された靴が集められ、花と線香が絶えませんでした。以来、「くつ塚」と呼ばれ、昭和35年(1960)にこの碑が建てられました。

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伊勢湾台風浸水位標識

伊勢湾台風浸水位標識の写真
所在地 愛知県名古屋市南区浜田町三丁目
場所(経緯度) 北緯34度05分13秒、東経136度55分27秒
建立年 1989年
碑文、伝承内容等 伊勢湾台風は、名古屋市西方をかすめる名古屋地方にとって最悪のコースをたどり、かつてない高潮を発生させた。名古屋市と当時の守山市及び有松・大高の両町を含む死者が1881人となり、南区内においても1417名に及ぶ尊い人命が失われた。この標識は、被災当時の学区内の最大水深(神松地区)を足下からの高さに置き換えて表示している。

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伊勢湾台風浸水位標識

伊勢湾台風浸水位標識の写真
所在地 愛知県名古屋市南区大同町三丁目
場所(経緯度) 北緯34度59分18秒、東経136度59分01秒
建立年 1989年
碑文、伝承内容等 伊勢湾台風は、名古屋市西方をかすめる名古屋地方にとって最悪のコースをたどり、かつてない高潮を発生させた。名古屋市と当時の守山市及び有松・大高の両町を含む死者が1881人となり、南区内においても1417名に及ぶ尊い人命が失われた。

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伊勢湾台風追悼碑

伊勢湾台風追悼碑の写真
所在地 愛知県刈谷市城町2丁目
場所(経緯度) 北緯34度59分18秒、東経136度59分01秒
建立年 1961年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日夜の伊勢湾台風では、午後8時ごろ、刈谷市では最大瞬間風速28メートルを記録し、死者14名、倒壊・流失家屋231棟など被害は甚大だった。刈谷市水防・消防団の災害復旧に努めた功績を称え、再び惨状を繰り返さない決意を新たにするため、この碑を建立した。

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伊勢湾台風災害復旧之碑

伊勢湾台風災害復旧之碑の写真
所在地 愛知県西尾市南奥田町新田東
場所(経緯度) 北緯34度49分30秒、東経136度59分37秒
建立年 1964年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日夜半に伊勢湾台風は、瞬間最大風速50m、最低気圧910ミリバール、潮位標高3.6mに達し、堤防が1400mにわたって決壊した。農地は泥海と化し、浸水面積650ha、死者1名、負傷者40名、被災者2605名、被災家屋259戸等と言語に絶する被害が出た。県は直ちに復旧工事を行い、強固な堤防を築いた。

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伊勢湾台風殉難之塔

伊勢湾台風殉難之塔の写真
所在地 愛知県弥富市操出十一丁目
場所(経緯度) 北緯35度03分36秒、東経136度46分34秒
建立年 1963年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日の夜、史上最大といわれた伊勢湾台風が5m31cmの高潮を伴って当地方に来襲し、瞬時に堤防を決壊させ多くの家屋家財を押し流し、弥富町住民322名の尊い人命を奪い去った。泥海の中で衣食に窮した生活80余日に及ぶ大自然の猛威を我々の心のいましめとして後世に語り継ぐ。

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伊勢湾台風災害復旧竣工記念碑

伊勢湾台風災害復旧竣工記念碑の写真
所在地 愛知県弥富市中山町
場所(経緯度) 北緯35度06分16秒、東経136度43分10秒
建立年 1963年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日当地方を襲った伊勢湾台風は最大風速60メートルの猛威をふるい、木曽三川下流部堤防を36ヶ所にわたって決壊させ、周辺住民の財産と多数の人命を も奪い、この付近一帯は2ヶ月余りにわたる浸水に耐えなければならなかった。

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伊勢湾台風水難の碑

伊勢湾台風水難の碑の写真
所在地 愛知県弥富市平島町
場所(経緯度) 北緯35度06分17秒、東経136度44分08秒
建立年 1959年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日の夜に襲来した伊勢湾台風は沿海の堤防を破壊し数千の人名と巨億の財貨とを奪いこの地方一帯を約2ヶ月の長期にわたり泥湖の状態となし未曾有の災害をもたらした。

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伊勢湾台風災害復興之碑

伊勢湾台風災害復興之碑の写真
所在地 愛知県弥富市六條町
場所(経緯度) 北緯35度06分18秒、東経136度44分54秒
建立年 1966年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日に来襲した伊勢湾台風は余りにも大きな傷痕をのこしていった。一瞬にして旧十四山村中を泥海と化し36名の尊い生命を奪い去ったにも拘らず村民はよく立直り日夜災害復旧に努力した。

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伊勢湾台風殉難之碑

伊勢湾台風殉難之碑の写真
所在地 愛知県弥富市鍋田町
場所(経緯度) 北緯35度03分18秒、東経136度45分59秒
建立年 1969年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日未曾有の風水害におそわれた伊勢湾台風の犠牲となられた133名の方々のご冥福を祈り、鍋田干拓地の安全と繁栄をこの地に居住されるすべての人々の幸福を祈る。

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伊勢湾台風殉難之碑

伊勢湾台風殉難之碑の写真
所在地 愛知県飛島村大字新政成七丁目
場所(経緯度) 北緯35度03分45秒、東経136度48分12秒
建立年 1963年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日の夜、史上最大といわれた伊勢湾台風が風速50mの烈風と異例の高潮を伴って当地方へ来襲し、荒れすさぶ怒濤は瞬時に5m70cmの海岸堤防を打越え決壊し、流失家屋132戸に及び家財は全滅し飛島村住民130名の尊い人命をも奪い去ってしまった。

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伊勢湾台風殉難の碑

伊勢湾台風殉難の碑の写真
所在地 三重県桑名市長島町松蔭
場所(経緯度) 北緯35度02分21秒、東経136度44分07秒
建立年 1961年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日当地方を襲った伊勢湾台風は、木曽三川下流部の堤防を寸断し、多くの尊い人命を奪って通りすぎて行った。この碑は堤防やしゅんせつ船の保守に当られ殉職された方々をまつり再びこの悲しみを繰りかえさないよう祈りをこめて建てられた。

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伊勢湾台風殉難の碑

伊勢湾台風殉難の碑の写真
所在地 三重県桑名市大字福岡町
場所(経緯度) 北緯35度01分29秒、東経136度42分36秒
建立年 1961年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日当地方を襲った伊勢湾台風は、木曽三川下流部の堤防を寸断し、多くの尊い人命を奪って通りすぎて行った。この碑は堤防の保守に当られ殉職された方々をまつり再びこの悲しみを繰りかえさないよう祈りをこめて建てられた。

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伊勢湾台風災害復興記念碑

伊勢湾台風災害復興記念碑の写真
所在地 三重県桑名市長島町松蔭
場所(経緯度) 北緯35度01分56秒、東経136度43分19秒
建立年 1999年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日夜来襲した伊勢湾台風によって木曽揖斐長良三川の堤防は寸断された。これらの堤防の汐どめ工事は、多くの人々の協力により進められ、最後の締切りは大潮時にあったにもかかわらず53日目の11月18日この地において完了した。防災拠点整備により当初の記念碑に代わり建立された。

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伊勢湾台風記念観音

伊勢湾台風記念観音の写真
所在地 三重県桑名市長島町松蔭
場所(経緯度) 北緯35度02分17秒、東経136度43分11秒
建立年 1962年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日突如来襲した伊勢湾台風により堤防が決壊して松陰地区は水没し、流失家屋71戸、水難死者103名(建立当時)、その他に家財を流失した者はほぼ全村に及んだ。

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平和観音像

平和観音像の写真
所在地 三重県桑名市長島町西外面
場所(経緯度) 北緯35度05分30秒、東経136度41分56秒
建立年 1963年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日夜半の伊勢湾台風は史上まれな大型台風で、陸上においても風速70m以上に達し、烈風、豪雨、高波、高潮と二重三重の悪条件が重なって、伊勢湾一帯に甚大なる災害をもたらした。長島町の美田は一瞬にして泥海と化し、410世帯の家屋は流失又は全壊し、多くの家財を失い、382人の人命を失った。

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城南干拓開拓史の碑

城南干拓開拓史の碑の写真
所在地 三重県桑名市大字福岡町
場所(経緯度) 北緯35度01分30秒、東経136度42分34秒
建立年 1979年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日伊勢湾台風による大災害を被り、男女合わせて55名の尊い人々の命が奪われた。被災地において、仮設住宅で生活すること約2年、苦難と心痛を乗り越え、災害後3年の短期間に、復旧を成し遂げた。

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伊勢湾台風不忘碑

伊勢湾台風不忘碑の写真
所在地 三重県桑名市大字立田町
場所(経緯度) 北緯35度02分50秒、東経136度42分17秒
建立年 1962年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日夜伊勢湾台風は大きな爪痕を当地方に残して去 った。桑名市(当時)では死者202名(建立当時)、家屋全壊・流失394世帯、床上浸水4791世帯などの大きな被害があった。

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桑名宗社(春日神社)の青銅鳥居痕跡

桑名宗社(春日神社)の青銅鳥居痕跡の写真
所在地 三重県桑名市片町
場所(経緯度) 北緯35度03分55秒、東経136度41分45秒
建立年 1960年
碑文、伝承内容等 左右の両柱にある窪みは 昭和34年(1959)9月26日夜半の伊勢湾台風の高潮により打上げら れた荷物船が横さまに激突した痕跡である、という記述がこの鳥居の柱そのものに刻まれている。

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伊勢湾台風遭難者荼毘之跡碑

伊勢湾台風遭難者荼毘之跡碑の写真
所在地 三重県桑名市大字稗田
場所(経緯度) 北緯35度03分18秒、東経136度39分31秒
建立年 1966年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日伊勢湾台風により桑名市(当時)は207名の尊い人命を失った。

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伊勢湾台風水難犠牲者慰霊碑

伊勢湾台風水難犠牲者慰霊碑の写真
所在地 三重県桑名市長島町浦安
場所(経緯度) 北緯35度01分33秒、東経136度43分39秒
建立年 1983年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日伊勢湾北部臨海地域を襲った史上空前の伊勢湾台風は未曾有の大災害をもたらし、当松蔭地区の水難犠牲者は全域にわたり105人を数えた。

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伊勢湾台風30年碑

伊勢湾台風30年碑の写真
所在地 三重県桑名市吉之丸
場所(経緯度) 北緯35度04分01秒、東経136度41分55秒
建立年 1989年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)の伊勢湾台風の災害復旧事業で建設された高潮堤防の地盤沈下対策として、延長26kmにわたる堤防のかさ上げ工事が昭和50年度(1975)から昭和63年度(1988)まで行われた。碑には「時代に引き継ぐあの教訓 伊勢湾台風」と刻まれている。

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伊勢湾台風締切記念碑(源緑輪中)

伊勢湾台風締切記念碑(源緑輪中)の写真
所在地 三重県桑名郡木曽岬町源緑輪中
場所(経緯度) 北緯35度03分38秒、東経136度44分04秒
建立年 1963年
碑文、伝承内容等 昭和34年(1959)9月26日の伊勢湾台風により木曽岬町では300名を越える方が亡くなった。破堤した堤防はその後順次締め切られ、11月9日、この地点を最後に完全に締切が行われた。

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