1995年新潟県北部の地震に関する緊急災害調査報告

Preliminary Research for the Disaster of the 1995 Niigata Hokubu Earthquake

地理調査部 藤巻 治雄・木佐貫順一・小野 康
Geographic Department Haruo HUZIMAKI, Junichi KISANUKI, Yasushi ONO


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要 旨

 1995年4月1日に発生した新潟県北部の地震による被害状況を現地において調査した。この地域についての地形地盤の特徴と地震被害の特徴を明らかにするとともに「地形と地震被害の関連」についての考察を行った。
         目  次

主な図

はじめに
1.新潟県北部の地震について
2.福島潟周辺の地形および地盤の特徴について
3.被害状況について
  (1)建物の被害
  (2)墓・灯籠の転倒
  (3)道路の亀裂および橋
  (4)噴砂および液状化
  (5)地割れ
  (6)導水管の破損
4.考察
  (1)被害の特徴
  (2)地盤構造と2ヶ所の被害について
  (3)月岡断層について
  (4)地割れについて
  (5)液状化について
5.まとめ
6.謝辞
引用および参考文献

はじめに

 4月1日12時49分,新潟県北部,福島潟付近の地下約17kmを震源とするマグニチュード(M)6.0の地震により被害が発生した。地理調査部では,4月5日から8日にかけ,被害状況と地形・地盤などの土地条件との関係を解明するために,緊急災害調査を実施した。(1)被害状況の概要を把握するため,関係機関の協力を得,建物などの被害および液状化など,地震による地盤の被害についての現地確認,(2)笹神丘陵に存在する月岡断層(活断層)およびその周辺での地形変化,(3)低地の微地形と地震災害の関係などを中心に調査を行ったので報告する。

1.新潟県北部の地震について

 近年,新潟県北部では地震活動があまり活発ではなかったが,昨年10月頃から群発性の地震が起きるようになり,今回の地震は,この群発地震と一連の活動であることがその後の余震活動から明らかとなった。4月1日の地震による各地の震度は,震度4が新潟,相川,笹神,出雲崎,震度3が白河,酒田,高田となっている。しかし倒壊したり破損した家屋や,墓石の倒れた状況から震央付近では局地的に震度6以上に達したと,新潟大学積雪地域災害研究センターでは推定している。4月1日以降の地震活動は2日にM5.2,さらに5日にM4.7と,大きな余震があったものの,徐々に収まり,この群発地震も減衰に向かった( 図-1(68k)図-2(74k))。

2.福島潟周辺の地形および地盤の特徴について

 今回の地震で震源域となった新潟県福島潟周辺は,新潟平野北部のほぼ東縁部に位置し,その東側に五頭山地がある。
 この地域は,福島潟を中心とする福島潟低地,加治川と阿賀野川による三角州・扇状地性低地,さらに笹神丘陵があり,その西側に段丘面を形成している。
 新潟平野は,縄文海進時に海没し,浅い内水面となり,そのまま,18世紀半ばまで広大な水面を残しながら少しずつ陸化(干拓を含む)してきた地域である。このため,近年まで各地に沼沢地が存在し,現在でもその名残が見られる。海岸には砂丘および砂丘間低地,浜堤列がよく発達しており,後背低地では当時,胎内川,加治川,福島潟,阿賀野川が全て信濃川に流入していた。
 福島潟は,旧内水面が三角州により埋積する過程でとり残され,潟湖として残ったところで,点在している湖畔砂丘および自然堤防の,豊栄市椋,法花鳥屋,葛塚,浦木,大月,笹神村上高田,豊浦町天王,鳥穴などが旧湖岸線を表している。流入河川も,本田川,折居川,大通川などであり,排水河川として新井郷川が開さくされた。福島潟の南西側は,太田川,阿賀野川のかつての派川である駒林川等の形成した自然堤防等をつくる砂質の微高地である。高度分布は,低地の一般面で0~2m,砂堆で1~3m,自然堤防で2m前後であり,日本海沿岸に発達している砂丘の高まりに比べると,相当低く,広大な低湿地となっている。旧版地形図(明治23年測図)や1948年撮影の空中写真などからも,福島潟周辺には低湿地や旧河道などが分布していたことがわかる。
 五頭山地には山地の方向にほぼ合致して断層が複数走り,山麓には月岡断層(活断層)が走り,これと並行して笹神丘陵が形成されている。これらの分布,形態からこの付近は,月岡断層の走向に並んで,断層が幾本も形成されていることが推定できる。
 これらの断層のうち,月岡断層については,今回の地震の震央より東方約4~5km付近に,比高100m弱の東向きの断層崖をなし,五頭山地から流下する諸河川の流路を左(南側)へ屈曲していることが知られている(小泉,1971;活断層研究会,1991)。一方,笹神団体研究グループ(1980,1982)では,笹神丘陵東縁で東落ちのステップ状正断層としているが,渡辺・宇根(1985)では,断層露頭および隆起側の段丘面の形状から西上がりの逆断層としている。
 地理調査部では,これまでこの地域において土地条件調査を実施しており,「新潟」(昭和60年調査)および「新発田」(平成3年調査)から地形や地盤の特徴を読み取ることができる。
 図-3(142k)は,この土地条件図をもとに,福島潟周辺の地形の概要をまとめたものである。この図や,これらの土地条件図によれば,この低地は,福島潟を中心に広範囲にわたり,砂,粘土層が厚く,軟弱となっている。ボーリング柱状図によると,福島潟西岸では地表下約9mでN値がやや大きいが,以下25m付近まで非常に軟弱である。また,笹神村高田では,表層から約2mがシルト質粘土で泥炭を含み,極めて柔らかく以深は灰色細砂で,やや固い。

3.被害状況について

 今回の被害状況と地形・地盤の条件とを重ね合わせると,被害地域が氾濫平野に点在している自然堤防 および湖畔砂丘上に分布するのみであるということが特徴である。このなかでも,笹神村高田および上高田に被害が集中している。しかし,盛土・切土,平坦化地などの人工改変地については,今回の地震よる被害はほとんど見られない。
 今回の新潟県北部の地震による新潟県内の市町村別被害は,6月1日現在, 表 -1(54k)となっている。 (1)建物の被害  最も被害が目立ったのが家屋・神社である。豊浦町では新潟県文化財に指定されている市島邸の湖月閣の倒壊( 写真-1(96k)),天王小学校の体育館の損壊( 写真-2(74k))などが見られたが,一般の住宅の被害はその大部分が一部損壊であった。笹神村は,被害を受けた市町村の中では最も建物被害が多く,その中でも際だって被害の出たのは高田と上高田(高田新田)の二つの集落であった。どちらも半数以上の世帯で全壊または半壊の建物(母屋,納屋,蔵など)がある。半壊以上の被害を受けた家屋が10棟以上の集落はこの他に藤屋,榎,船居であり,数棟程度の集落は,中ノ通,飯山新,山倉新田,上飯塚などとなっている。
 完全に倒壊した建物は市島邸の他にほとんど無いが,ジャッキや支柱で傾きを支えるなど,そのまま使用できない「全壊家屋」が多く( 写真-3(93k) 笹神村高田) ,蔵などは壁がはがれたものが多かった。また,母屋から突出した形の玄関は多数損壊しており,屋根瓦の最上部の落ちたもの等も見られた( 写真-4(83k) 笹神村上高田)。
 地震動により土台と上部の建物自体がずれてしまっていたものも多く,特に重量の小さく,土台と建物が連結されていない神社や古い蔵等に多く見られた。 写真-5(110k) は,笹神村飯山新の家屋で,建物全体が土台から10数cmずれている。 写真-6(96k) は,笹神村高田の稲荷神社, 写真-7(89k) は,同上高田の熊野神社でどちらもが土台石から大きくずれている。 (2)墓・灯籠の転倒  震動によって倒れた墓石や灯籠は数多く見られたが,その多くは北西-南東方向から東西方向の地震動により倒れたものが多かった。笹神村高田・上高田間の墓地,藤屋不動寺の墓石,豊浦町天王の須佐之男神社の灯籠( 写真-8(95k))は概ね北西あるいは南東方向に倒れていた。市島邸の灯籠( 写真-9(77k))は西北西-東南東から東西方向に,同町轟北側の墓地ではほぼ東西方向に倒れ,北に行くほど東西方向となっている。墓石,灯籠の倒れた方向は,土台に固定されていない建物の動いた方向とほぼ一致している(写真-5~7)。 (3)道路の亀裂および橋  今回調査した範囲では,笹神村藤屋に1ヶ所,豊浦町八万に1ヶ所,それぞれ小さな亀裂が生じており,規模は小さかった。橋については特に異常は見られなかった。 (4)噴砂および液状化  液状化による噴砂は,豊浦町福島の水田に1ヶ所,直径25cm程度のもの,福島潟のオニバスの池の中に10個程度,直径約1m,厚さ約10cmのものが見つかった。いずれも液状化の例としてはごく小規模である。 (5)地割れ  笹神村高田と上高田の間の用水路に沿って長さ約700mにわたり,地割れが断続的に発生した。最も顕著なところでは15cm程度段差が生じているほか,雁行状の割れ目も見られた。地割れはアスファルト道路やコンクリート側溝にはなく,構造物も異常がなかった( 写真-10(107k))。 (6)導水管の破損  福島潟の干拓地内の道路に埋設された導水管が,30数カ所破損していた。地震後に通水したことにより,この被害が確認された。

4.考察

(1)被害の特徴  図-4(323k) は,今回,実施した緊急災害現地調査の結果および,関係市町村から収集した被害状況をまとめた「地震被害分布図」である。今回の地震の規模は小さかったが,被害が狭い範囲に集中したのは,直下型地震であり,東大地震研究所によると4km程度と,震源が非常に浅かったためと思われる。しかも家屋の被害状況から見ると,全壊家屋が生じている地域は,豊浦町天王から笹神村および水原町天神堂にわたる,6.5×1.5kmの長円形の範囲である。さらに半壊家屋が生じている地域としては,全壊家屋が生じている地域の周辺と,豊栄市長戸,内沼,長場地域の2つの地区に分布していることも特徴と言える。
 縦方向の地震動が接地性の少ない建物を跳ね上げ,横方向の揺れずれを生じさせた。土台と固定されていない建物(神社,蔵)などを,土台から大きくずれさせ,回転を生じさせたところでは最大55cmものずれを測定した。家財道具は東西方向に飛ぶように倒れ,墓石や灯籠も同方向に倒れた。この現象は,物体が宙に浮いたことを示している。また,土台に固定された建物は,マッチ箱を横から押し潰したように傾き破壊していた。こうした被害の激しさは,縦方向の地震動が1Gを越えるかどうかの境界線上にあったことも考えられる。 (2)地盤構造と2ヶ所の被害について  図-5(154k) (後述)によると,この付近の地盤構造は,東側が浅く,西に行くほど基盤は深くなっている。地震動の伝播が直接地表面に達する直接波(図-5)は,震央に最も早く到達し,揺れも最大となることが容易に想像できる。そして,地震動の伝播が地盤構造の各地点の層厚の違いにより異なり,震央から東側(右側)の地表に沿って,震央と同様の強い揺れが数kmにわたり作用したと考えられる。
 長戸・沼内・長場地区が,震央を持つ長円形の区域から離れているにもかかわらず被害を受けている。これは,地震動の伝播が地盤構造の差異(各地点の層厚の違い)によって変化したものと考えられる。 図-6(135k)は地震動が各地層毎の最短 距離を通って地表に現れた経路を示した。地表に達するまで地震動の減衰が最も少ない経路と考えられる。したがって,震央付近に次ぐ大きな揺れを生じた地域と言える。また,( 図-7(140k))は放射状にa~e点を経て伝播された地震波が,時間 の経過とともに地表近くに進み,重なり合う位置が長戸・沼内・長場地域であることを示し,そのためにこの地域で地震動が増幅したと考えられる。 ※図-5について・・・新潟市史編纂委員会(1991)新潟市史の地層図(35P)を使用した。地層について は模式図を簡単にするため魚沼層・灰爪層をイ,西山層・椎谷層をロ,寺泊層・七谷層・グリーンタフ層をハの三層に分け,イ層についての地震波伝播速度を約2km/s,ロ層についての地震波伝播速度を約 2.5km/s,ハ層についての地震波伝播速度を約3.5km/sと仮定し,地震波到達時間を表現した。  震央から東側数kmにわたり強く揺れたにも関わらず,被害に差異を生じたのは,段丘と湖畔砂丘さらに軟弱な低地の上に出来た発達の良くない自然堤防という地形との関わりと考えられる。段丘上では被害が少なかった。湖畔砂丘上に立地する集落では,折居川の自然堤防と複合していると思われる山倉新田,藤屋,上高田を除けば,震央から近いにもかかわらず災害が比較的少なかった。山倉新田,藤屋,上高田とこれより以南の自然堤防上の集落では大きな被害となった。
 鉄道・道路には目立った被害がないこと,一般的には弱いとされている盛土部の工場,学校,大型建造物に被害のないことについては予想外であり,新たな課題である。 (3)月岡断層について  この地域では月岡断層(活断層)は南北に走り,震央の距離が4~5kmときわめて近いことや,被害が集中した地域の長軸と月岡断層とがほぼ並行していること,月岡断層が概ねN14゜E(笹神丘陵東縁)ないしN25゜E(五頭山麓)であり,被害地域の長軸は概ねN25゜Eであることなどから,月岡断層そのものが地下で動いたとも考えたが,現地調査の結果,地表の変位は確認できなかった。
 また,その後の本震の深さが4km程度であることから,震源と月岡断層とを結ぶ線は45゜程度となり,角度が緩やか過ぎる。従って,月岡断層とは同一グループではあるが別の伏在断層が存在することが想定できる。 (4)地割れについて  笹神村高田と同上高田(高田新田)との間にあった地割れについては,1)用水路の堤防に平行であったこと,2)道路・用水路を破壊していないこと,3)用水路の反対側の堤防にも用水路が落ち込む形で地割れがあったこと,4)2~3年前に用水路工事を実施したばかりで圧密が不十分であったこと,などから用水路と堤防が地震動で沈下したものであり,地震断層が地表に現れた地割れではない。 (5)液状化について  広範囲に被災地を調査したが,噴砂跡は豊浦町福島の小水路と福島潟のオニバスの池の中など数カ所に,それぞれ極く小規模な噴砂跡があったのみである。軟弱地盤で液状化現象による被害を予測したが,被害は発生しなかった。その原因は,沖積層として相当厚い砂層と粘土層・泥炭層の互層があり,今回の規模の揺れでは深部の砂層からは粘土層や泥炭層に阻まれ表面に達しなかったと思われる。極く小規模の噴砂は,簡易ボーリングの結果や噴出量から,極く浅い砂層からの噴出と判断できる。

5.まとめ

(1)今回の新潟県北部の地震は直下型で,震源が浅いため,激しい被害が限られた範囲で発生した。
(2)半壊以上の被害地域が福島潟の南部および南西部の2地域に分布したことは,深層地盤構造によると考えられる。
(3)段丘・湖畔砂丘・自然堤防など地形による被害に違いがあった。
(4)地表面では地震断層は確認できなかった。
(5)液状化現象は,軟弱地盤にもかかわらず,限られた地点に見られ,小規模であった。
(6)福島潟南部の水田に現れた地割れは,地表に現れた断層ではなく,地震動によるものである。

6.謝辞

 新潟県消防防災課ともに,現地調査にあたり,被災された市町村の協力をいただいた。また,新潟大学 積雪地域災害研究センターの青木滋教授からは貴重なデータの提供や教示を受けた。これらの関係者各位に深く感謝の意を表する。

引用および参考文献

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