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地理院ホーム  > 刊行物・資料  > 国土地理院時報  > 国土地理院時報(1995,83集)目次  > 兵庫県南部地震に伴う淡路島北部地域の地形変化  

兵庫県南部地震に伴う淡路島北部地域の地形変化

Geomorphological Phenomena and Damage in the Northern 
Part of Awaji Island Caused by the 1995 Hyogoken-Nanbu Earthquake

地理調査部
鈴木勝義・海野芳聖・堀野正勝・木佐貫順一・星野  実
岩橋純子・水越博子・根本寿男・中野 修※・飯田剛輔※
Geographic Department
Katsuyoshi SUZUKI, Yoshikiyo UMINO, Masakatsu HORINO,
Junichi KISANUKI, Minoru HOSHINO, Junko IWAHASHI,
Hiroko MIZUKOSHI, Toshio NEMOTO, Osamu NAKANO※, Gosuke IIDA※

要旨

 

 1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震の後に実施した緊急災害調査のうち、淡路島北部地方の調査結果を取りまとめ報告した。
 淡路島側では,人的被害の絶対数(死者57人,負傷者1,215人)は神戸地方に比較してはるかに小さかったものの,北部の野島断層に沿って地震断層が生じ,さらに山崩れ・地すべり・地盤の液状化など多くの地変が発生している。
 本報告では,これらの地変を詳しく記載し,また建物被害との関係についても言及した。
 なお,本報告の1章~3章及び4章-2)は海野が,4章-1)・3)・4)は鈴木がそれぞれ執筆した。5章・6章は,鈴木・海野・星野・岩橋・水越の討議にもとづき,海野が取りまとめたものである。

 

    目  次
主な図、写真
1.はじめに
2.過去の淡路島の被害地震
  1)遠地の巨大地震による被害
  2)内陸の大地震による被害
3.淡路島北部の地形・地質
  1)淡路島の地形概要
  2)淡路島の地質概要
  3)淡路島北部の地形分布と活構造
4.1995年兵庫県南部地震に伴う地変
  1)野島断層
  2)その他の淡路島北部の活断層
  3)地盤の液状化
  4)山崩れ・地すべり
5.被害状況と活構造との関係
6.まとめと今後の課題
参考文献


1.はじめに

 平成7年1月17日5時46分頃,明石海峡付近を震央とするマグニチュード(以下Mと略記する):7.2 の地震が発生した。この地震により,神戸と洲本で震度6を観測したほか,関東地方から九州地方にかけての広い範囲で有感となった(図-1:159k)。その後,気象庁は神戸市及び淡路島の北部の一部に関して震度7の判定を行っている。
 この地震による被害は極めて甚大で,自治省消防庁調べによると死者・不明者5,504人,負傷者41,648人,住家全壊101,233棟(4月23日現在)に達している。
 国土地理院では,地震発生後直ちに災害地域の空中写真を撮影すると共に,緊急の現地調査を実施した。淡路島の緊急災害調査は,1月18~22日,及び2月13~17日の2回にわたって実施された。これらの調査では同島北端部に現れた地震断層を追跡するとともに,淡路島北部一帯の地変と建物被害についても概査を行った。これらの調査で得られた知見については,既にその一部が公表されている(太田ほか,1995;国土地理院災害地理調査班,1995など)が,本稿では煩をいとわず,地震断層を中心とする地変と被害状況を詳しく記載することにした。さらに,これら相互の関連や地形・地質構造との対応等についても,考察を加えた。
 今回の調査にあたっては,兵庫県淡路県民局と一宮町・東浦町・淡路町・津名町・北淡町・西淡町の各町役場から被害関係資料を頂いた。また,被災直後にもかかわらず,多くの住民の方々から調査に際してご協力を頂いた。各位に厚くお礼申し上げる。また,専修大学文学部の太田陽子教授には,現地調査の一部に同行して頂き,ご教示と討議をちょうだいした。心より謝意を表する。

2.過去の淡路島の被害地震

 淡路島地方は,日常地震の少ないところであるが,歴史地震を調べてみると,表-1のように今回の地震を含め少なくとも10回以上の被害地震を経験している。表-1(247k)は宇佐美(1987)のリストから大阪・神戸・淡路島地方に被害のあったことが明らかな地震を抜き出して作成した。このうち,7例は南海沖(紀伊半島-四国の南方)の巨大地震,9例が近隣地域で発生した内陸の中~大地震である。

1)遠地の巨大地震による被害

 大阪・神戸・淡路島地方で被害を生じたと推定される巨大地震として,白鳳・仁和・康和・正平・安政・昭和各南海地震,および宝永地震があげられる。
 白鳳南海地震については古代のことで記録が乏しい。知られる限りでは,いずれの地震においても,大阪平野や奈良盆地など沖積層の厚く分布する地域に被害が大きい傾向が認められる。安政南海地震では,現在の西淡町から洲本市にかけての平野部で壊家が多かった。(昭和)南海地震では全島にわたって被害があり,特に洲本市では死者40名・家屋全壊125棟に達した(洲本市史編纂委員会,1974)。

2)内陸の大地震による被害

 大阪・神戸・淡路島地方内もしくは近隣地域で発生した浅発地震(いわゆる直下型大地震)による被害の例は,以下のようにかなり多い。734年の地震の実態については史料が乏しく不明であるが,「続日本紀」の記述から陵墓(位置不詳)が被害を受け,朝廷によりその調査が行われたことが知られている(萩原ほか, 1989)。
 868年の地震については,「三代実録」の記述から播磨国が被災の中心であったことが知られており,最近のトレンチ調査の成果(岡田ほか,1987)と合わせて,山崎断層系の活動によって起こった地震と考えられている。
 1510年と1596年の地震は規模の大きなものであるが,いずれも被害の広がりについて不明な点が多く,震源域が特定されていない。1510年の地震では,藤井寺市・八尾市・大阪市天王寺区などで寺院が大きな被害を受けたことが知られており,生駒断層系の活動によるとの説(寒川,1986)もある。
 1596年の地震は死者数万人ともいわれ,伏見城の倒壊をはじめ多くの被害記録が京都と奈良に残されたが,大阪・堺・兵庫など他地域の被害の程度については充分明らかになっていない。この地震の震源断層としては,京都盆地-奈良盆地西縁の断層系を想定する説(萩原ほか,1989),有馬-高槻構造線を有力視する考え(寒川,1992),さらに,紀ノ川右岸の中央構造線を主体と考える意見(石橋,1994)まであり,なお議論が続いている。
 明治以降に内陸で起きた被害地震として特筆されるものには,1891年の濃尾地震(M:8.0)と1916年の明石海峡付近の地震(M:6.1),および1927年の北丹後地震(M:7.2)がある。濃尾地震は規模としては巨大地震に分類されるもので,奈良県北部から大阪府北部にかけてもかなりの被害があり,図-2(163k)のようにこの地域の震度は6に相当する。神戸は震度5,洲本は4であった。  1916年の地震では,淡路島北部~神戸にかけ小被害があった。震度分布は図-3(151k)のとおりで,等震度線のパターンも今回と同じく東北東-西南西に延びており,今回の地震と類似の発震機構であった可能性が考えられる。
 1927年の北丹後地震では,大阪府内で死者21名,全壊127棟の被害が生じた。神戸の震度は4であったが,淡路島の北部と南東部で震度5となり小さな被害があった(佐藤,1927)。

3.淡路島北部の地形・地質

1)淡路島の地形概要

 淡路島は北東-南西に細長い形状をしており,長さ約53km,北西-南東方向の幅は北部で狭く約5~8km ,南下するにつれてひろがり洲本市の南で約22kmに達する。
 淡路島の地形は,島内の山地・低地の分布により4地域に区分することができる(田中,1994)。すなわち,南端部の南淡町阿万から三原町神代・緑町広田を経て洲本市街に至る線の南東側は諭鶴羽(ゆづるは)山(608m)を最高点とする起伏の大きい諭鶴羽山地で占められる。また,南淡町阿万から三原町神代を経て西淡町湊に至る線よりも西側には,南辺寺山(265m)等を主峰とする海抜 200m級の小さな山地が分布する。上述の両山地の北縁は三原川・洲本川流域の淡路平野により限られ,これ以北の地域には,北端部の淡路町に至る起伏の小さな津名山地が北東-南西に細長く分布している。津名山地は,その中央付近の一宮町郡家と津名町志筑を結ぶ線によって,北半部と南半部とに再分することができる。南半部地域は先山(せんざん)(448m)を最高点とし,全体としては起伏の小さな山地が大半を占める。
 津名山地北半部地域は,妙見山(522m)を最高点とし,南側にやや起伏の大きい山地が,北側には起伏の小さな山地が分布している。
 以上述べた淡路島の地形の大勢は,この地方一帯の第四紀の構造運動と密接に対応しているものとみられる。すなわち,本島の南縁には活断層とされる中央構造線が東西にのび,諭鶴羽山地は,東方の和泉山脈から西方の讃岐山脈へと続く,中央構造線北縁の山地の一部と位置づけられる。一方,津名山地は,その南東縁・北西縁に後述のように多数の活断層・撓曲が知られており,これらの活動の累積によって生まれた山地と考えられる。活断層の北東方への延長は明石海峡を経て六甲山地南縁部へ連続することが知られており,津名山地の形成過程は六甲山地の隆起過程と一連の構造運動として位置づけられる。

2)淡路島の地質概要

 淡路島の地質は,1)で述べた地形区分とよく対応している。すなわち,南部の諭鶴羽山地,及び南辺寺山周辺の山地は,大部分が白亜紀の和泉層群から構成され,一部に鮮新世-更新世の大阪層群が分布する。北部の津名山地は,下位に白亜紀のカコウ岩類があり,これを不整合でおおう中新世の神戸層群が北半部地域にのみ分布する。さらに,これらを不整合でおおい,大阪層群が全地域にわたり広く分布している。
 大阪層群は,多くの活断層・撓曲により局地的に著しく急傾斜し,まれには断層(破砕帯)を介してカコウ岩類と接する露頭も認められる。
 なお,山地の山麓部・海岸沿いには後期更新世の段丘堆積物が各地に分布している。これらは,ほとんどが礫層・砂礫層を主体とする河成堆積物で,全域的には高位段丘・中位段丘・低位段丘・最低位段丘の4つに区分できる(水野ほか,1990;高橋ほか,1992)。

3)淡路島北部の地形分布と活構造

 今回の調査地域である津名山地北部地域の埋谷線と活断層・撓曲の分布を図-4(221k)に示す。1)・2)で述べたように,この地域の山地は,鮮新世-更新世の大阪層群を変形もしくは切断している活断層・撓曲の活動の繰り返しによって,現在の形状をもつに至ったものと考えられる。山地の北西側には,今回の地震で再活動した野島断層(長さ7km,以下に記した各活断層の長さは,活断層研究会(1991)に準拠した),浅野断層(長さ4km),水越撓曲(長さ4km)などがある。これらはいずれも南東側上りの変位センスを有し,野島断層ではさらに河谷や段丘に右ずれ変位が認められる。
 山地の南東側には,北から順に仮屋断層(長さ11km,海底を須磨方面へ延びる),楠本断層(長さ6km以上 ),東浦断層(3本が雁行する,全体で長さ4km),野田尾断層(長さ6km)が分布する。これらのうち,東浦断層は南東側上り,他は北西側上りの変位センスを持つ。また,楠本断層・東浦断層では,河谷に系統的な右ずれ変位が明らかである。
 山地の南西側には,西から志筑断層(長さ9km),育波断層(長さ2.5km)がある。地形からみていずれも東側上りの変位センスを示しているが,横ずれ成分については明らかではない。
 以上の諸断層を境界に,この地域の山地は全体としては北東-南西方向に延びる地累山地の形状をしている。特に北部では,野島断層と楠本断層に沿い比高150~200mの断層崖をめぐらし,その上側は海抜170~30 0mの小起伏面となり,好対照をなしている。南側では,東浦断層,育波断層,野田尾断層,志筑断層などによりさらにブロック状に分断され,妙見山,伊勢ノ森,摩耶山,東山寺付近などの小山地に細分されている。

4.1995年兵庫県南部地震に伴う地変

 今回の地震に伴う地変について,以下に記載する。
最初に,地震断層が現れた野島断層沿いの地変について述べ,次に近接する活断層・活撓曲について,確認した地表の変位の有無について述べる。さらに,地盤の液状化と山崩れ・地すべりに関して観察し得た事項を列記するが,これらの現象についてはすべてを確認し得たわけではないことを,おことわりしておく。

1)野島断層

 今回の地震で地表に現れた地震断層は図-4(221k)の野島活断層とほぼ一致する。確認された地震断層に沿い北東端の江崎灯台から南西端の富島までの踏査を実施したので,その結果を以下に記載する。観察地点は図-6(430k)に示した通りで,大字ごとに北方から南方へそれぞれ一連番号を付けた。計測した変位量の分布は図-5(186k)に示す。

 野島江崎

 野島江崎北部地区では,地震断層は山地と水田・畑などがある低地部との境を各所に地割れ,そして低断層崖を発生させ,灯台下の海岸より明石海峡部へ進んでいる。
 断層で切断された海岸部の道路延長上の消波工は北西側やや沈降気味である。


 

(1) 地震断層は灯台に登る石積み階段で走向はN40°E,右に120cmずれ,南東側に50cm上がりの変位が見られた(写真-1:92k)。ここより灯台下公園部にかけての山腹には地割れが発生していた。
(2) (1)の南西側谷部でも地震断層を確認する。断層は,N35°Eの走向を持ち,比高は南西側55cm上がりであった。横ずれ変位は確認できなかった。
(3) 山上への廃道で地震断層を確認する。断層は,走向N35°Eを持ち,南東側に55cm上がり,横ずれ変位は確認できなかった。
(4) 竹薮で地震断層を確認する。亀裂は,なかなか走向や傾斜は測れないが,おおむね走向N50°Eで,南東側55cm上がりであった。
(5) 杖木池付近で断層を確認する。走向はN40°E,傾斜は不明である。
(6) びわ畑で地震断層を確認する。地割れは,走向N70°Eであった。
(7) 長谷池の上方の水田面で地震断層の亀裂を確認する。走向はN50°Eである。断層付近はぼこぼこに波打ち計測は正確には測定できなかった。このぼこぼこの原因は液状化ではないかと思われる。
(8) 長谷池南方の水田護岸で地震断層を確認する。走向はN62°E,傾斜78°NW,右に110cm横ずれしている。縦ずれは南東上がり60cmである(写真-2:108k)
(9) 野島江崎桃林寺入り口駐車場で断層を確認する。道路と駐車場の間のU字溝に圧縮の変状が見られる。
 また,20m西側の桃林寺の塀が断層運動に伴って倒壊していた。走向はN40°Eで,道路沿いの竹薮が道路にせり出している。
(10) 地震断層は送電線の東側で走向N40°E,変位量は右横ずれ105cm,縦ずれはなかった。水田面に大きな亀裂があり,同じ走向に沿って噴砂現象を確認する(写真-3:70k)
(11) この付近の地震断層は,走向N45°Eの亀裂が見られる。
(12) 地震断層はN50°Eの走向を持ち,(11)地点の方向の亀裂と結びつくと見られる。
(13) ため池の盛土部下で凹地状に沈下,沈下方向はE-W,沈下量は60cmであった。
(14) この付近では地震断層は,南東側に50cm上がりで,逆断層の形状を示す。
(15) 明瞭に山縁と低地との間に地震断層が見られる。断層崖の走向はN48°E,右横ずれ85cm,南東側が45 cm上がり,断層面の傾斜は南東へ約79°傾いて逆断層傾向である。
(16) アメリカ村という貸別荘地があり,山地と低地の間に走向N40°Eの亀裂がある。湧水も地震後多くなっている。
(17) 断層の走向は,N50°E,南東上がりで高さ50cmの亀裂が見られた。
(18) 走向はN85°Eで,幅80cmの深い亀裂が見られた。
(19) 走向はN35°Eで,亀裂が見られる。
(20) (19)よりさらに南西側に行った水田部に亀裂が見られる。亀裂の方向はN60°W,35cm南西上がり雁行状の亀裂が見られる。山地部にも同様な亀裂が見られた(写真-4 :88k)。以上のことから地すべりによる変位と思われる。
(21) 地震断層は走向N60°E,変位量右横ずれ100cm,南西側40cm上がりである。この付近は,地質は砂岩・泥岩互層である。
(22) 地震断層は,走向はN60°Eで,変位量は,南80cm上がりである。断層粘土が見られた。道路や河川護岸が持ち上がり崩れていて,圧縮部となっている(写真-5:77k)
(23) ケルンバットの凹地に断層亀裂があり,断層粘土が見られる。この断層の近くの護岸は15cm右横にずれていた。
(24) 竹林の中に走向N13°Eの断層亀裂が見られ断層粘土がはみ出していた。
(25) 断層の走向はN33°E,傾斜45°S,約27cmの断層粘土を挟んでいる。変位量不明である。 
 

 野島平林
 野島平林地区は,今回出現した地震断層の中でも,最大の変位が確認された場所である。その姿は,TV 報道等により,一躍全国に知れ渡った。
 測定結果は,以下のとおりである。
(1) 地震動によって,地すべりが動いた亀裂と思われる線が平行に5本見られた。走向N80°E走向,傾斜70°Sのカコウ岩の節理が動いている。そして,この延長上の道路もずれており断層運動に伴い動いたものと考えられる。
(1) 平林集落に降りる道路脇が地震動により亀裂が生じたもので,走向N40°E,傾斜直角に近い逆断層をなしている。この北西側部分が比高約2mほど土砂が崩落して口が開いている。
(3) 野島断層の地震断層中最大の変位量を示したところで,走向N50°E,傾斜82°,変位量横ずれ右に17 0cm,高さ130cm南東上がりで上盤側は北西方向にオーバハングしている(写真-6:194k)
 
 野島大川
 野島大川地区内では,地震断層は山腹にひらかれた水田・畑と点在する住宅地を横断し,各所に著しい雁行地割れや低断層崖を発生させた。
(1) 平林貴船神社の南東方約160mの土砂採取場へ通じる道路は断層で切断された。縦ずれ122cm(南東側上がり),右横ずれ159cmと計測された。これより,低断層崖は造成地面末端の法面沿いに南南西方へ連続している。
(2) 野島大川集落北側の小河川を横断した地震断層は,その左岸段丘崖に崩壊を起こし,高松繁氏邸南方の祠付近に達する。この南西側の大川集会所へ通じる道路では,コンクリート舗装が断層線上で破壊され,右ずれに変位した。計測結果は,縦ずれ不明,右横ずれ108cmとなった。
(3) (2)地点の南南西方約90mで断層は再び上記道路とぶつかり,コンクリート舗装が著しく破壊された。道路が断層線と低角度で斜交するため,路面の破壊区間は約10mに及び,ずれの大きさは計測できなかった。
(4) (3)地点の南南西方約80mで断層は三たび道路を斜断する。この地点は森田実氏邸敷地の南端にあたり,盛土敷地内には多くの地割れ群が生じた。このうち,最大のものの落差は北西落ち20cmであった。なお,森田実氏邸主屋は半壊,北隣の旧棟は大傾斜して大破した。
(5) (4)地点の南西方約80mの地点で,断層は4たびこの道路と交又し,ここでも路面舗装が著しく破壊されている。(4)地点との間の畑・果樹園内には,連続する雁行地割れ群が認められ,排水路擁壁は右ずれに変形した。
(6) (5)地点の南方約130mで,再び明瞭な低断層崖が大川新池へ通じる農道上に現れた。(5)地点との間の果樹園内には,海抜37~44m付近に杉の字型に配列した地割れ群が確認される。この地割れ帯は北方へ約100mにわたり追跡できるが,(5)地点を通る地割れ帯とは,約20mほどの間隔で雁行しているもようである。
(7) (6)地点から,地割れ群は果樹園内をさらに南南西方へ続き,樋口博氏邸への道路を変位させている。この地点では,右横ずれ115m,縦ずれ僅小(南西上り)であった。これより断層は,棚田に幅1~2mの地割れ帯を形成しつつ,南南西方約110m付近に位置する(8)地点に向かっている。
(8) 野島轟木地区との境界を流れる大川川右岸の水路は,N50°E方向に切断された。この地点では右横ずれ110cmと計測された。また,隣接する水田面の撓曲様の縦ずれの総量は57cmであった(写真-7:102k)
 
 野島轟木
 今回の地震断層のほぼ中央部に位置し,大阪層群からなる低地と津名山地との間に低断層崖をなしている。
 ただ,きちんと測定できた場所は少なく,その結果は次の通りである。
 県道より南西側に発達している段丘と山地の間に亀裂やため池付近では崩壊などが見られる。またそれらを結ぶように路面の地割れが連なり,変位量として右側に横ずれ,縦ずれは南東上がりであった。
(1) 轟木集落北部に位置する。亀裂は,N40°E走向,変位量右横ずれ22cm,雁行状に配列する。
(2) 変位量横ずれ右に140cm,縦ずれは確認できなかった。
(3) 集落北のため池付近では,走向N23°E,傾斜82°,変位量右横ずれ5cm,南西側に20cm上がりであった。
(4) 走向N7°E,変位量は右に横ずれ3.5cm、基盤中の断層であり,おそらく正断層と思われる(写真-8:86k)
(5) 変位量右横ずれ90cm,南東側で62cm上がっている。
(6) 養鶏場南東側の山腹を地割れ帯が走り,南東側上り数10cm程度の変位が認められるが正確には計測できなかった。
 
 野島蟇浦
 蟇浦の地区は,北部側は山地と低地の間を断層がとおる轟木地区の延長で,断層は大阪層群の低地部と津名山地の間に低断層崖をなしている。また,南側の蟇浦地区梨本になると土肥川の低地部になり地震断層は水田や畦・道路などを切断する。
 この梨本付近の南側に副断層が枝分かれする。
 測定結果は,以下のとおりである。
(梨本)
 この地域では,断層は蟇浦の集落と折ケ谷池との間に現れ,水田,畦,水路,川,池,道路などを切断する北西上がりの低断層崖となっている。所によっては杉の字状の雁行の割れ目も見られ,用水路を横切る地点では大きく2本の断層線も現れていた。この付近一帯の変位量については,本地域が土肥川の沖積地であり,右ずれが南西に向かって減少しており,縦ずれが40cmも現れているところもあるが,多くの地点では,ほとんど縦ずれが見られない。
(1) 蟇浦地区北部側に亀裂が見つかったが地震断層と確認できなかった。
(2) 蟇浦地区北部の呉坪豊一氏邸東方の溜池東岸に北東-南西走向の地割れ帯が生じていた。
(3) 椋本池北方約80mの尾根上では,幅0.5m内外の小径が右横ずれによりほとんど閉塞された。これより地割れ帯が北東へ中谷茂氏邸裏のびわ畑内に連続している(写真-9:91k)
(4) 泉中池右岸では,変位量右横ずれ140cm,縦ずれの変位量はなかった。
(5) 野島小学校裏手の水路で測定した。変位量右横ずれ22cm,南西側が5cm上がりである。
(6) お寺の上の竹薮で地震断層を確認する。亀裂走向N33°Eである。
(7) 野島漁港老人の家の南東では,走向N56°E,山側が少し上昇しているのが確認できた。
(8) 野島漁港老人の家の南東付近で,走向N9°E,変位量右横ずれ70cm,南西側9cm上がりであった。
(9) 野島川と送電線交差部の路面に亀裂が見られる。変位量は右横ずれ45cmである。
(10) 土取場跡を通る道路が断層によって破砕されている。走向はN45°E,変位量右横ずれ80cm,縦ずれはなかった。
 
 副断層
(11) 折ヶ谷池南で,走向N9°E,傾斜75°E,変位量右横ずれ50cm,縦ずれなしで,断層粘土が見られる。(11)の延長上(南の土砂採取跡地)を調べて行ったが地震断層による亀裂などは発見できなかった。
 
 舟 木・長 畠
 今回の地震断層の南端に近いところで,カコウ岩を主とする土砂を大規模に採取した跡地で,被災直後に国土地理院が緊急撮影したカラー空中写真によっても地震断層が確認できた。この付近では今まで述べてきたのとはことなりに北西側が上昇している。
 以下に舟木,長畠地区の土砂採取跡を中心に調査結果を述べる。
(1) 土砂採取跡地では,変位量横ずれなしで,縦ずれは北西上がりで20~30cmである。
(2) 土砂採取跡地では,変位量横ずれ右に110cm,北西上がりの高さ55cmが確認できた(写真-10 :98k)
(3) 土砂採取跡地では,変位量横ずれ右に100cm,北西上がりの高さ55cmが確認できた。
(4) 土砂採取跡地では,変位量横ずれ右に90cm,北西上がりの高さ40cm,開口幅40cm~50cmの雁行状に割れ目があるのが確認できた。
(5) 土砂採取跡地では,走向はN45°E,変位量右横ずれ90cm,縦ずれ北西上がり50cmが確認できた。
(6) 河野道信氏宅の北東側コンクリート塀で走向N40°E,変位量は右横ずれ100cm,縦ずれ45cmであった。
(7) 河野道信氏宅の南西側コンクリート塀の変位量は横ずれ右に120cmで,縦ずれは確認できなかった。
(8) 河野道信氏宅の西方で変位量右横ずれ80cm,縦ずれ35cmであった。
(9) 小倉川沿いでは,変位量右横ずれ15cm,縦ずれは不明である。
 
 富島
 この付近では主断層のほかに副断層あり,途中からこの副断層に転移し,南西方向に連続しているのが認められる。
(1) N40°E走向,変位量は右横ずれ60cm,縦ずれ80cmである。
(2) 断層直上の家では,N47°E走向,変位量横ずれなし,縦ずれ43cmである。
(3) N65°E走向,変位量は不明である。
(4) N40°E走向,傾斜東上がりで変位量40~70cmで平均値は50cmである。
(5) 保養センターでは,N58°E走向,変位量横ずれ右に5cm,変位量縦ずれはわからなかった。
(6) 妙見宮付近では,N42°E走向,変位量横ずれは不明で,縦ずれ北西上がり13cmが認められる。
 

 以上,野島断層に沿う地震断層とそれに伴って現れた地変の観察・計測結果を各地点ごとに記載した。このように,地震断層の形態は詳しく見るとかなり多様であるが,各地点の表層地質・地形との関係を考慮すると,以下のようにいくつかのパターンに分類することが可能である。図-7(107k)に,これらを模式的にまとめて図示した。

 

(1)段差や横ずれ,開口などを伴う地割れ(群)が全体として直線状に分布する場合
 A.明瞭な直線状の低断層崖:カコウ岩類などのような固結した岩盤が地表直下に存在する場合に生じる。
 B.平行する地割れの集合体:急傾斜面上に崖錐角礫層などの未固結堆積物が分布する場合に生じる。
 C.雁行する地割れの集合体:緩傾斜面~平坦面上に段丘砂礫層などの未固結堆積物が分布する場合に生じる。
 D.地割れを伴う撓曲崖:畑地・水田などの著しく軟らかい表土が存在する場合に生じる。

 

(2)地割れ(群)が途切れたり,急に方向を変えるなど,不規則に分布する場合
 E.著しく屈曲した地割れ(群)や撓曲崖:斜面上の未固結堆積物が重力滑動を起こし,断層面が山麓側へ屈曲する。
 F.地震断層(上記A~Dのような形態を示すもの)が中断し,飛び離れた地点に地震断層の一般走向と著しく斜交する地割れ(群)が現れる場合:斜面上の未固結堆積物が地震時に地すべりを起こし,地表の変位はその滑落崖部と地すべり土塊末端とに現れる。
 上記のような,地震断層の活動に直接起因する地変の他に,地震動によって誘発された地すべりの再滑動や斜面崩壊なども,各所に認められた。これらの特徴については,後に改めてまとめることとする。

2)その他の淡路島北部の活断層

 

 前章で紹介したように,淡路島北部には野島断層の他に同様にB~C級の活動度の活断層として楠本断層,東浦断層,浅野断層,志筑断層などが知られている。地震発生直後に発見された野島断層の変位以外に,これらの活断層に沿っても変位が生じていないかどうか確認する必要があった。このため,主に1月19~21日にかけて,分担してこれら諸断層に沿う地区の概査を実施した。
 その結果,これらの断層に沿っては特に地割れなどの集中的な発生は認められず,家屋や土木構造物の被害も周辺地区に比較して特に顕著であるというわけではないことが判明した。
 以下,概査を行った断層ごとに,観察結果をまとめておく。

 a)楠本断層

 今回の地震の震央位置(岩屋港東方沖約3km)から判断して,地震断層が出現している可能性が最も大きい断層の1つと考えられる。この断層については,地形としての断層崖が顕著に発達している東浦町楠本~浦にかけての地区を,集中的に踏査した。
 この地区を楠本断層が通過する部分は,現在本州四国連絡道路の建設工事中で,大規模に掘削されている。楠本川沿いに谷山ダムへ向かう道路・山田原から中持へ向かう道路などには,いずれも何ら変状は認められなかった。また,この中間の井上空地区にある墓地は,この断層線上に位置しているものと考えられるが,数10基の墓石のうち竿石の転倒約10%,同回転約20%にすぎず,野島断層に沿う墓地に比較して被害は小さかった。
 以上の事実から,今回の地震に際して楠本断層は活動しなかったものと考えられる。

 b)東浦断層

 この断層も楠本断層の南西方にあって同様の走向を示すことから,地震断層出現の可能性が考えられる。この断層に沿う概査は,東浦町白山~河内にかけての地区について行った。
 浦川右岸側に位置するこれらの地区の住宅の被害は,棟瓦の崩落が散見される程度で,海岸部の久留麻・仮屋などの地区に比較して明らかに小さい。白山地区東端の大歳神社の鳥居は被害を受けていない。東浦断層A(水野ほか,1990;2本に分かれて並走する断層のうち南東側のもの)の上に位置している河内地区の池本勇氏邸南側の舗装路上に道路を横断する亀裂群が認められたが,背後の小溜池の堰堤盛土が北西方へ滑動したためとして説明可能である。

 c)浅野断層

 この断層は,野島断層の南西方延長上に位置するため,やはり今回の地震時に活動した可能性が考えられる。この断層沿いの踏査は,北淡町石田~斗ノ内にかけての地区について実施した。
 本断層は伊勢ノ森山塊の北西縁を限り,これよりも海岸側には中位~高位の段丘面とそれらの間に多くの開析谷が分布し,耕地と住宅が点在している。観察した範囲では,本断層線上に家屋被害や地割れが集中しているということはなく,海岸近くにかけての住宅に点々と全半壊したものが見受けられる。道路や耕地内に著しい地割れを生じた箇所は,開析谷壁上の小さな崖錐斜面や地すべり土塊に相当する部分である場合が多い。これらが地震動によって谷側もしくは下流側に滑動したために生じた地変と考えられる。この点については,後に詳しく述べる。以上のように,浅野断層についても今回の地震で活動した証拠は見い出せなかった。

 d)水越撓曲

 水越撓曲は地質調査によって認められた大阪層群中の撓曲構造であり,地形的に明瞭ではない。しかしながら,野島断層の南西方延長上にあり,しかも同様の変位様式(南東側上り)を持つことから,地下深所では野島断層と一連の構造線であり,その南側部分が地表近くで撓曲の形態をとって成長中であるとも解される。
 このことから,今回の地震ではこの撓曲に沿って地震断層が生成した可能性も考慮して,特にこの地区を詳しく踏査した。踏査は北淡町富島~育波にかけてのいくつかの路線に沿って行った。
 この撓曲の周辺では,著しい地変や住宅の被害が認められた。石田地区の八幡神社では一ノ鳥居が大破し,その南方約80~220m付近では鳴見川右岸谷壁斜面を通る道路が谷側へ一部滑落した。その西南西方の浅野南の橋松池周辺では,盛土部や凹型斜面上を通過する道路面上に亀裂が見られた。さらにその南西約0.8kmに位置する浅野小学校付近では,道路面上や造成地面上に多数の地割れが生じた。
 特に,海岸に沿う主要地方道から浅野小学校へ上る道路の舗装路面の破損が著しく,浅野小学校北側の段丘崖下に位置する浅野公民館の敷地内では,不等沈下を伴う多数の地割れが発生した。道路面を横断する亀裂の大部分は開口幅1~10cmで,横ずれ変位はほとんど認められない。なお,周辺の水田面には著しい変状は確認できない。浅野小学校の西方約450mに当たる主要地方道(新道)に沿っては,延長約80mにわたって地割れが生じた。地割れ群の西端のものは東西走向(路面を斜断)で左ずれ,これより北東方へ下り車線側に沿う開口地割れが約40m延びており,春田モータースの店舗前付近に達して石造りの門柱を倒壊させている。この地点では上り車線側の路肩が北西側へはらみ出している。この地変は,全体として北西側の沖積低地方向へ開く円弧状の概形を示すことから,地震動によって誘発された地すべりと考えられる。
 以上述べたように,水越撓曲の周辺では地割れや住宅被害が著しい。しかし,この地区は野島江崎から淡路島北西岸に沿って一宮町郡家に至る被害の大きい地帯の一画に当たり,踏査で得られた情報の限りでは,特にこの撓曲上において被害が著しいと断定することができない。また,連続性のある地変は発生していないようである。

 e)志筑断層

 志筑断層は,今回の地震の震央から最も離れているが,先述のように,津名山地の北半部の南西縁を限る地形的にきわめて明瞭な断層である。このため,現地調査では,本断層付近のいくつかのルートに沿い地変の有無の確認を行った。
 一宮町尾崎から北淡町生田田尻へ通じる道路に沿っては,ほとんど道路面の変状が認められない。わずかに尾崎地区内の前田大池の堰堤下において,小規模な亀裂(開口幅1~2cm,走向N40゜W)が見られたにすぎない。一宮町尾崎から遠田にかけて志筑断層の西側0.3~0.7kmを並走する町道に沿っては,多くの溜池が分布しており,これらの堰堤とその下方側の道路面に地割れが集中して発生した。特に,尾崎の塚原池下と遠田の薬師堂南西側の小溜池下では,道路面にもやや著しい被害が生じていた。しかしながら,付近の家屋には屋根瓦の被害が散見される程度で,特に被害の集中は認められなかった。
 以上の観察から,志筑断層についても,断層の活動があったとは考えにくい。

3)地盤の液状化

 淡路島北部の液状化調査を行った結果を以下に記す。北淡町・一宮町・淡路町・東浦町・津名町海岸部の埋立地は,ほぼ全面的に液状化していた。また,山間地の谷底平野で液状化がところどころに見られた。
 以下に液状化を観察した主な地点について記載する。

 

 (1)淡路町榎本谷山
 谷底平野の水田部に周囲約2m・深さ1mの大きな穴が噴砂により出現している。近くに温泉があり地震時噴き出すように水が沸き出したが地震後2,3日で湧水は止まっていた(写真-11 :99k)

 

 (2)北淡町江崎
 山間地の谷底平野の水田面より粗い砂が噴き出している。

 

 (3)津名町海岸埋土地
 埋立地先端の公園内は海岸堤部が海へ少し移動したためか亀裂部が凹地となっていた。また公園内のいたる所より海成と思われる噴砂が見られた(写真-12 :74k)また,大阪行きのフェリー乗り場の建物と埋立地の亀裂部より大量の噴砂が見られた。

 4)山崩れ・地すべり

 野島断層沿いの山崩れ・地すべりについて記述する。
 写真判読及び現地調査により崩壊・地すべりを確認する。
 空中写真は表-2(117k)の写真を使用した。
 写真判読から野島地震断層の周辺の崩壊は,野島蟇浦付近に崩壊が集中している。
 山地斜面はおおむね北西向き斜面が卓越しており,南西・北東向きがこれに次ぐ。今回の崩壊の方向は南西向き斜面に多く見られる。
 北から崩壊・地すべりの状況を記述する。

1.北端部の江崎灯台下斜面に小崩壊2ヶ所が見られる。
2.北端部の江崎灯台の西(断層上)地震前からあった小崩壊の位置に再崩壊した斜面がみられる。
3.谷山下池(溜池)右斜面よりカコウ岩の表層風化物質が崩落。断層線上で断層が右にずれたことによるものと思われる。谷山下池山地部で大阪層群の砂層の表層崩壊が起こっていて,池に向かって流下している。
4.北淡町野島江崎の断層付近の亀裂は,地すべりと思われる。
5.海岸よりの住宅裏の斜面に小崩壊地があったが地震後に再崩壊している。
6.土砂採取地の小屋近くの斜面で,北西向きに崩れている。
7.土砂採取地の海に伸びるベルトコンベヤ沿に崩壊(地震断層上)が見られる。
8.野島大川集落より土砂採取地へ向かう道路斜面に崩れ(地震断層上)が見られる。
9.野島大川の水田上を断層が通過したため,断層沿いで小崩壊がみられる。
10.段丘崖の崩壊(地震断層上)。その上流部の同じ段丘崖でも小崩壊がみられる。
12.北淡町野島大川付近に亀裂がみられるが,亀裂の方向から地すべりと思われる。
13.大川ダム(砂防ダム)に向かう道路の法面が崩壊している。
14.野島轟木に雁行型に配列する亀裂が見られるが,地すべりと思われる。
15.野島砂防ダム付近の道路法面が崩壊している。
16.野島轟木の断層斜面(西向き斜面)で大規模な表層崩壊が見られる。
17.野島蟇浦(椋本池)上流斜面に大きい崩れや小さい崩れが多数見られた。この付近で大きな動きがあったものと思われる。
18.県道野島浦線の法面で崩壊が3ヶ所見られる。
19.土砂採取跡地の切土斜面に,カコウ岩のマサ土の崩壊が北西向き斜面に1ヶ所,北東向き斜面に2ヶ所,南西向き斜面3ヶ所で見られる。
20.土砂採取跡地南の切土斜面に西向きの崩壊2ヶ所が見られる。
21.富島簡易保険保養センター南に崩壊が見られる。
22.富島妙見宮裏に崩壊が見られる。
23.富島南では,今まで崩れていた所が再崩壊を起こしている。

5.被害状況と活構造との関係

 今回の地震による淡路島内の市町別被害集計結果を,表-3(285k)に示す。地震直前の世帯数の資料(1月1日現在)を使用して住家被害率を計算すると,この値が10%を超えるのは,北淡町(49%)を最高に,一宮町,淡路町,東浦町,津名町,五色町の6町である。一方,被害率が最も低いのは南淡町(0.7%)で,三原町,洲本市,緑町,西淡町では2~6%と小さい値を示す。
 被害率の分布は野島断層とその南西延長の地域で大きく,東浦町・津名町などでは地震断層に近い割合に被害率は小さい。今回の地震で地下の震源断層の南西端がどこまで達したのかについては,現時点では確定しにくいが,余震分布を見る限り(気象庁,1995),せいぜい一宮町郡家付近までであろうと考えられる。いずれにしても,野島断層は今回の地震の震源断層の南西側のセグメントに相当し,岩盤の破壊は明石海峡側から淡路島の北西岸に向かって進行したことになる。従って,一宮町・五色町などでは,ドップラー効果(たとえば,Espinosa,1976)が強く働く位置にあったこととなり,震央距離から期待される値をかなり上回る大きな加速度が生じたものと考えられる。
 以上は,家屋被害のマクロな分布についての説明であったが,次に各市町内のより細かい被害の分布について検討を加える。
 気象庁では,地震後に実施した現地調査にもとずき,北淡町富島~室津,一宮町郡家,津名町志筑の各地区について,震度7に達していたとの判定を下した(小泉,1995)。現行の気象庁震度階級(1949)では,震度7の定義は「家屋の倒壊率が30%以上の地域」とされている。一方,淡路島北部のように住家が山野に散在している地域が多い場合には,公式被害統計の最小単位である大字(もしくは地区)ごとの家屋被害データは,それ自体がさまざまな地形・地盤条件をもった地区内の単純平均値を与えるにすぎないことに充分留意する必要がある。例外的に,上記のような密集した市街が形成されている地区でのみ,その地区の実態に見合った被害率が得られているものと考えられる。従って,山間の住家がまばらな地域では,現地調査によって被害分布の詳細な変化を把握する必要がある。
 今回の2回の現地調査では,家屋被害について定量的な調査を行う余裕がなかったので概括的な検討になるが,各町とも,海岸部の低地地域において被害が大きく,段丘・山地地域では被害が全般的に小さい傾向が認められた。
 また,基盤地質と被害との関係については,4-1)・2)で詳述したように,野島断層以外の活構造上において,顕著な被害の集中は認められなかった。
 段丘・山地地域内における家屋の被害は,4-2)・4)に列挙したように個別に検討すると,地震動による表層堆積物の移動によって引き起こされたものが多い。
 なお,個々の建物の被害の状況については,同一地盤条件上にある家屋について検証した場合,鉄骨・鉄筋コンクリート造りの建物にほとんど被害が見られないのに対し,木造・木造モルタルの日本式家屋の被害が顕著であることが指摘されている。特に,旧来の日本瓦で葺かれた家屋の屋根部分の損壊が著しく,軽量のスレート瓦葺きの屋根では棟瓦の崩壊程度の例が多い。このことは,今回の被害をもたらした地震動が,主に強烈な水平方向成分の揺れであったことを示唆するものと考えられる。

6.まとめと今後の課題

 1995年兵庫県南部地震による淡路島の地変と被害について,2回にわたって,同島北部で実施した現地調査の結果をとりまとめた。得られた主な知見は,次の通りである。
1)北淡町内の野島断層が再活動し,延長約9kmにわたって地震断層を生じた。
2)この地震断層のずれのセンスは,右横ずれで縦ずれを伴う。縦ずれは大部分の区間で南東側上がりである。なお,最大の変位は中央の野島平林地区内に現れ,水平変位量170cm,垂直変位量130cm(南東側上がり)であった。 3)その他の既知の活断層:東浦断層・楠本断層・浅野断層などについては,今回の地震で活動した痕跡は見い出せなかった。また,これらの構造線上での顕著な被害の集中も認められない。4)地震動により,各地で山崩れ・地すべり・地盤の液状化等が発生した。液状化は最近造成された海岸部の埋立地で特に著しい。
5)建物の被害は北淡町で最も大きく,住家被害率は北淡町をはじめ一宮町・淡路町・東浦町・津名町・五色町で10%を越えた。
6)建物被害の分布は,巨視的には発震機構で,微視的には表層地質条件により説明可能である。  今回の現地調査は限られた日程の中で実施され,特に家屋の被害の詳細については,充分把握できなかった。今後は被害のデータを収集するとともに,個々の事例について微視的な地形・地質条件を考慮に入れた解析を行う必要があろう。
  今回の災害報道では,出現した地震断層が大々的に紹介された。しかし,今回程度の地震断層出現の例は決して珍しくなく,明治以後についてみても,1896年陸羽地震,1927年北丹後地震,1930年北伊豆地震,1943年鳥取地震,1945年三河地震など多数ある。なかでも,1891年濃尾地震の地震断層の最大変位は,水平変位量8m,垂直変位量6m(松田,1974)と,今回の野島断層の例よりはるかに大きい。  今回の震源断層である六甲断層系の大規模な再活動は,向こう数100年以上は発生しないであろう。今後は,東方の有馬-高槻構造線や南方の中央構造線の活動予測が,緊急の課題になると考えられる。

参考文献

 
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