兵庫県南部地震の概要

兵庫県南部地震の概要
Geophysical Image of the 1995 Hyogoken-Nanbu Earthquake

地殻調査部 橋本 学
Crustal Dynamics Department Manabu HASHIMOTO


本文[PDF:656KB]

要 旨

 1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(M7.2)は,阪神地方及び淡路島を中心に甚大な被害を与えた。この地震の地震像を明らかにすることが,地震科学に携わるものにとって今求められていることであろう。このため,関係機関によって地震・測地等の観測が行われている。地震観測からは,今回の地震は北東-南西走向のほぼ鉛直な3つの断層が,西側から順番に右横ずれ運動したものと推定されている。測地測量データから断層の食い違い変位を推定した結果からも,右横ずれ断層運動が確認されたが,断層の食い違い変位が大きいところがおおむね3つに分かれ,特に淡路島側の食い違い変位が大きいことが明らかになった。これらのことから,今回の兵庫県南部地震は,まず淡路島の野島断層が大きな破壊を起こし,神戸側の断層が遅れてやや小さい破壊を起こした運動であったと考えられる。


    目  次

主な図

1.はじめに
2.兵庫県南部地震の震源域の地学的な環境
3.過去及び直前までの地震活動
4.地震観測で捉えた地震像
5.測地測量で捉えた地震像 
 (1) 観測事実 
 (2) 断層モデルによる解釈
6.残された課題 
 (1) “震災の帯”の解釈 
 (2) 六甲山の隆起と地震に伴う上下変動 
 (3) 繰り返し周期
7.まとめ
参考文献

1.はじめに


 平成7年1月17日5時46分,明石海峡付近を震源とするM7.2の地震が発生し,神戸市を中心とする阪神地方及び淡路島を激しい震動が襲った。兵庫県南部地震である。この震動により阪神高速道路や新幹線の高架橋が倒壊し,住宅・ビル等の建造物も多数倒壊し,5500人に登る死者・行方不明者を出し,1923年の関東大震災以来の大惨事となった
 国土地理院は,この地震による被害や地殻変動の実体を明らかにし,かつ震災後の復興に寄与するため,緊急に各種の測量・調査を実施した。また,災害対策本部,地震予知連絡会等の会議やインターネット等の通信網を通じた情報収集・提供にも努めた。本小論では,震源域周辺の地学的な環境,過去の地震活動を概説し,それを受けて今回の地震の地震学的・測地学的な観測成果から,この地震の地震像を探る。

2.兵庫県南部地震の震源域の地学的な環境


 兵庫県南部地震の発生した近畿地方は,活断層が密集しており,微小地震活動も高いところである。藤田和夫[Huzita,1962;藤田,1983,1985]は,六甲山の地形・地質の研究から近畿地方全域の活断層とそのテクトニクスまで発展させ,近畿トライアングルという考えを提唱した。この考えによると,近畿地方は,東を柳ヶ瀬断層,養老断層からなる敦賀と伊勢湾を結ぶ線に,南を中央構造線に,北を花折断層,有馬・高槻構造線,六甲断層系と野島断層等の淡路島の断層で境される一つのブロックとされる(図-1:80k)。兵庫県南部地震は,六甲断層系と野島断層で発生した地震である。六甲断層系は,諏訪山断層,須磨断層,甲陽断層等からなり,ほぼ東北東-西南西の走向を持ち,右ずれを伴いながら六甲山側が隆起する逆断層運動を起こしてきたことが明らかにされている[活断層研究会,1991]。今回の地震も,これらの活断層が活動し,六甲山が隆起する運動が起きたものと推測された。 

3.過去及び直前までの地震活動


 過去,近畿地方の内陸部は幾度か被害地震に襲われている[宇津,1994](図-2:163k)。特に,1596年(慶長元年)の伏見の大地震では,伏見桃山城の天守閣が倒壊し,謹慎中の加藤清正が城を守ったことから,歌舞伎の「地震加藤」として後世に伝えられている[萩原・他,1982,1989]。図-2(163k)に示すように,最近は近畿地方内陸での中規模以上の地震活動は低かった。ただ一つ,今回の震源近くの明石海峡で,1916年(大正5年)にM6.1の地震が発生し,死者1,家屋倒壊3等の被害が神戸・明石・淡路島であった[宇佐美,1987 ]。その後,約80年間は震源域周辺では顕著な地震活動はなかった。
  1994年6月28日に京都府中部でM4.6の地震が発生し,京都で約40年振りに震度4)を記録した。この地震の前後から,京都周辺でM4クラスの地震がいくつか見られるようになっていた。11月になって,大阪・兵庫府県境の猪名川町付近で群発活動があり,地元にかなり不安を与えた。この猪名川町の群発活動は年明けまで続いた。これらの一連の活動を地図上にプロットしてみると,ほぼ北東から南西に地震が並ぶ。そのため,これらの地震活動を兵庫県南部地震の前駆的な活動と捉える研究者もいる[例えば,吉田,1995]。
  1995年1月16日18時に3個と,23時49分に1個,計4個明石海峡を震源とするM1.5からM3の地震があった。前述のように,明石海峡付近では最近は顕著な地震活動はなかったので,これら4個の地震は兵庫県南部地震の前震活動と考えられる[京都大学防災研究所,1995a]。

4.地震観測で捉えた地震像


 阪神地方では,気象庁や京都大学防災研究所により,精密な地震観測が行われており,これらの観測から,余震分布や発震機構等が精密に決定されている。また,大学等の研究者により,世界の地震観測網のデータを即時に解析し,地震の震源過程を推定する解析もなされている。これらのデータは地震予知連絡会に全て報告され,公表されている。
 今回の兵庫県南部地震は,明石海峡付近深さ約14km[気象庁,1995](京都大学防災研究所(1995b)によると約18km)を震源とするM7.2の内陸地震で,その発震機構は横ずれ型を示す(図-3(136k)図-4(99k))[平田,1 995;気象庁,1995]。図-3(136k)に示すように,余震は北東-南西方向に並んでおり,発震機構のこちらの走向の面が断層面と推定され,この地震はほぼ鉛直な断層面での右横ずれ運動であったことがわかる。この断層面の走向は,六甲断層系や淡路島の野島断層や楠本断層の走向と一致し,これらの断層が活動したことが推定された。果たして,広島大学,地質調査所や国土地理院地理調査部の現地調査により,野島断層による地表のずれが確認され,今回の地震の震源断層として淡路島側では,野島断層が確定された[中田・他,1995 gED!&B>!$1995;粟田・他,1995]。一方,神戸側では国土地理院等の調査でも,地表に地震断層は確認されず[熊木・他,1995],被害との関係から震源断層がどこにあるのか議論されている。精密な余震分布では,主な余震は六甲断層系の活断層に沿った形で分布しており,震度7)の領域とは明らかに異なる[気象庁, 1995]。このことから,伏在断層が震度7)の領域直下に存在するとの考えが地質学者から出されている[例えば,嶋本・他,1995;池田・他,1995]。一方,地震学者からは震度7)は地盤の地震波の増幅によるものであるとの説が有力視されており[京都大学防災研究所,1995],議論は尽きないところである。
  世界の地震観測網で捉えられた地震波の解析をすることにより,震源での破壊過程を推定することが可能となっている。横浜市立大学の菊池正幸教授は,地震発生直後から世界中の地震波形データをインターネットを通じて収集し,解析を行った[菊池,1995]。その結果,兵庫県南部地震には,3つの大きな破壊が見られ,しかも西から順番に破壊が進行していったことが明らかとなった(図-5:93k)。

5.測地測量で捉えた地震像


 前章で述べたように,地震観測の結果からは,複雑な断層運動が起きたことが推測され,断層運動の推定に決定的な情報を与える地殻変動の観測結果に,当然のごとく注目が集まった。測地測量による地殻変動観測結果の詳細については,本特集号の石原・他(1995)に述べられているので,ここでは地殻変動の概要について述べ,これからどのような断層運動が生じたか推定する。

 (1) 観測事実
  GPS連続観測により震源を挟んだ両側で,向きが逆転する変位のパターンが明らかになった(図-6:10k)〔国土地理院,1995〕。すなわち,震源の西側の兵庫県御津で東に約4cm,東側の大阪府箕面で西に約4cm,奈良県吉野で西北西に約3cm,北側の京都府宮津で北へ約2cm,南側の和歌山県海南や徳島県阿南で南西に約2cm移動した。この変位のパターンは,六甲断層系や野島断層等の北東-南西走向の断層が右横ずれ運動をしたとすると,理解できる。
 GPSによる高度基準点測量で,阪神・淡路地方の三角点の水平変動が明らかになった(図-7:14k)〔国土地理院,1995〕。淡路島では,野島断層の近傍の江崎山三角点が南西に約1m移動したのを始め,大きな変動が見られる。一方,神戸側では,六甲山系の山頂にあるいくつかの三角点は,北東に20~30cm移動している。この変動は,六甲山系の西側の三角点にも現れており,六甲山系から西側の変位は,連続的であると考えられる。このことは,何を示すのであろうか。野島断層を素直に北東に伸ばすと六甲断層系にはつながらず,六甲山系の西側に上陸する。もし,そのような断層が本州までのびているとすると,水平変位はここで不連続になるはずであるが,そうはなっていない。どうやら,野島断層は本土まで伸びていないらしい。 六甲山の東側の3つの三角点は,いずれも小さいながら西に移動している。六甲山系の三角点の変動と合わせて考えると,六甲山麓に右横ずれ断層が推定される。国立大学のグループのGPS観測により,六甲山麓にある神戸大学の変位が小さかったことが明らかにされている。図-3(136k)で明らかなように,余震は六甲山麓の活断層に沿って分布しており,この三角点の変動と合わせて考えると,地表に現れなかった神戸側の震源断層は,六甲山麓の地下にあると結論できそうである。
 地震後の水準測量の結果,地震を挟む約5年間の上下変動が明らかになった(図-8(a)(259k)図-8(b)(170k))〔国土地理院,199 5〕。明石から神戸市垂水にかけて隆起が見られ,最大は約19cmにも達する。しかし,垂水からすぐ東でこの隆起は急に沈降へと転じ,その落差は約27cmもある。ここに断層の存在が示唆される。東にいくと,神戸市中央区付近で約4cmの小さな隆起が見られ,さらに東の芦屋,西宮では,また沈降が見られる。このように神戸から西宮間では,隆起・沈降が複雑に分布しており,神戸側の断層運動が複雑なものであることが推察できる。ただし,西宮以東は地盤沈下地帯であり,液状化現象も多く見られており,沈降量の100%が断層運動の結果と考えるのは早計かもしれない。
 先程の水平変動で議論した野島断層の延長の可能性を,再検討してみよう。野島断層の素直な延長は,神戸市垂水の隆起・沈降の境界には一致せず,むしろ明石の方にくる。明石付近は,上下変動で見る限り連続的な変化を示しており,とても地表近くに震源断層があるとは考えにくい。このように,水平変動及び上下変動,いずれのデータから見ても,淡路島の野島断層が本土まで伸びていることには否定的であり,兵庫県南部地震は淡路島では野島断層,本土では六甲断層系の2つ以上の断層がほぼ同時に運動したものと考えられる。

 (2) 断層モデルによる解釈
 さて,実際にこれらの測地データを用いて,断層運動を推定してみよう。一般に断層運動の推定には,ディスロケーション・モデルが用いられる。ディスロケーション・モデルは,矩形の断層面に食い違い変位を与えて地表の変位や地中の応力を計算する手法である。兵庫県南部地震は,これまでの議論から明らかなように,2つ以上の断層が運動したと考えられる。1つの断層について長さ,幅,位置(上端の深さと一端の緯度,経度),走向,傾斜,食い違い変位(横ずれ,縦ずれ)の9個のパラメータを決める必要がある。このモデルが提案された当初は,これらのパラメータをいろいろと変えて変位等を計算し,最も観測に合うものを探していたが,最近は観測値から最小二乗法を用いて直接パラメータを推定する方法がよくとられている。また,小さな断層面を多数分布させて,最小二乗法で食い違い変位を推定し,食い違い変位の断層面上での分布を求める研究も多い。そこで,ここでも複数の断層面を仮定して,その面上での食い違い変位量を推定し,その分布を調べることとする。
 使用したデータは,GPS連続観測から得られたベクトル,GPS測量から得られた三角点間の辺長変化,そして水準測量から得られた比高変化である。ただし,比高変化には西宮以東のデータも含めて計算しているので,特に東部の断層についての結果の解釈は,慎重にしなければいけない。
  このような計算をする場合,モデル断層の形状をしっかり決めなければならない。ここでは,余震分布に合うように5つのモデル断層の位置を仮定し,その長さ,幅,傾斜角を調節しながら計算を繰り返し,残差二乗和の最も小さいものを選ぶ方法をとった。図-9(78k)にこれまでのところ,最適と考えられるモデル断層を示す。また,図-10(182k)にこのモデルから期待される三角点の水平変動と水準点の上下変動を示す。おおむね,水平・上下変動とも観測データを説明する。このモデルによると,淡路島の野島断層に約230cmの食い違い変位が見られる。この食い違い量は,地表の調査で得られた野島断層の変位量と合う。但し,地表の調査では1m程度の上下変位が観察されているが,このモデルでは縦ずれ成分は少なく見積もられている。これは,淡路島には上下変動のデータが無いため,よく評価されていないものと考えられる。一方,神戸側の断層の食い違い変位量は大きくても80cmと推定される。この食い違い変位は西宮周辺の沈降を説明するためには必要であるが,この地域の沈降が液状化等の影響を含んでいるとも考えられるので,80cmという値は上限と考えるのが適当であろう。また,明石海峡に近い断層はかなり逆断層の成分が大きい。さらに,神戸の中心部の直下の食い違い変位は約40cmと推定される。これらのことから,神戸側の断層は大きく2つの部分に分かれると考えられ,野島断層と合わせて食い違い変位の大きな部分は3つになり,菊池の地震波から求めた破壊の分布と定性的に合う結果となった。

6.残された課題


 これまでの地震観測や測地測量,活断層調査等の結果,兵庫県南部地震の地震像はかなりはっきりしたといえるだろう。しかし,依然議論が続いている点もあることは事実である。ここに,そのいくつかを挙げておくことは,今後の研究の方向を探る上でも重要であろう。

 (1) “震災の帯”の解釈
  地質・地形の研究者から,いわゆる“震災の帯”の直下に,潜在活断層があるとする主張が依然強い〔嶋本・他,1995;池田・他,1995〕。軟弱地盤の分布と“震災の帯”が,必ずしも一致しないことがその主張の主な根拠である。確かに,測地データに基づく断層モデルでも,例えば二等三角点和田岬や打出などの変位をあまりよく説明できない。また,上下変動に見られる神戸市中央部における隆起も説明が難しい点であり,前述のような単純な断層モデルではモデル化できていないものがあるようだ。これについては,地下構造の精密な探査と,それに基づく地殻変動や地震波動の計算が必要であろう。

 (2) 六甲山の隆起と地震に伴う上下変動
 地質学的なタイムスケールでは,六甲山が隆起していることがわかっている〔例えば,藤田,1983,1985 〕。しかも,この隆起には,六甲山の南麓を走る活断層の運動が関与しているとされている。しかし,今回の兵庫県南部地震は一部逆断層成分の大きいところがあるが,ほぼ右横ずれ運動で説明され,六甲山の隆起にはあまり寄与しないことが推測される。1993年の北海道南西沖地震や1994年のカリフォルニアのノースリッジ地震でも,地形や地質時代の変動と合わない地殻変動が観測されており〔Hashimoto et al., 1994;Hu dnut et al., 1994],このような地震の地域的なテクトニクスでの位置付けが明らかにされなければならない。

 (3) 繰り返し周期
 内陸活断層での地震は,主にトレンチ調査に基づいて,1,000年から10,000年で繰り返すといわれている。しかし,1596年の慶長の地震では野島断層を含む有馬・高槻構造線が活動したとの考えも提出されており〔金折,1995〕,もしそうであれば,約400年で繰り返したことになり,活断層での地震の繰り返し間隔に大きな疑義を投げかける。但し,石橋(1989)は,この地震では京都付近の断層と中央構造線の鳴門断層が活動し,現時点では和歌山の中央構造線が活動したのか淡路島の先山断層が活動して六甲方面の断層運動につながったのかはわからないとしている。実際,今回の地震では神戸側に地表に地震断層が現れなかったので,未来の人間が六甲断層系でトレンチ調査をしても,1995年の地震は認識されず,繰り返し周期を長く見積もることになるだろう。このようなことが過去になかったとは言い切れない。活断層の活動度を評価することの重要性は増しているが,果たしてこれまでと同様な観点・手法でよいのかどうか,検討する必要があろう。

7.まとめ


 これまでの知見や地震予知連絡会に報告された地震学的な情報,さらには測地測量の成果から,兵庫県南部地震の地震像を探った。その結果,今回の地震は,近畿トライアングルと呼ばれる一種の地殻のブロックの境界を構成する活断層群の内,六甲断層系と野島断層が活動したものであると結論できる。地震学及び測地学的に断層運動の微細な構造を見ると,大きく3つの断層に分けられ,淡路島の野島断層の食い違い変位が約230cmと大きいのに対し,神戸側の断層の食い違い変位は1mに及ばないことが推定された。地震学及び測地学等の地震科学を総合した結果,今回の地震のイメージがかなりはっきりさせることができた。
  本震発生直後の1月18日,地震予知連絡会は,そのコメントの中で「南海トラフの巨大地震の数10年前から内陸の地震活動が活発化することから,前回の南海道地震からすでに50年近く経過しているので,西日本の地震活動が活動期に入ったことが考えられる」と述べている。今後,次の南海道地震の活動前後まで,活発な地震活動が予想され,地震科学の総力を結集して地震災害の軽減に貢献していかなければならない。

参 考 文 献


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