測量・地図ミニ人物伝:長久保赤水

「測量・地図ミニ人物伝」 

 

長久保赤水
(1717-1801)

 

画像:長久保赤水

 

 赤水(せきすい)は、現在の茨城県高萩市(たかはぎし)で生まれました。8歳のときに母を、11歳のときに父をなくしました。さいわい周囲の人々の協力で勉強を続けることができ、成人してからも勉学を進めたことから、52歳で認められて、水戸藩につとめることになり、61歳のときには藩主(はんしゅ)の治保(はるもり)公に講義(こうぎ)をする侍講(じこう)になりました。

 

 赤水は、多くの日本地図や世界地図を作りましたが、中でも経線(けいせん)と緯線(いせん)が入った日本全図を作ったことで有名です(改正日本輿地路程全図)。また、治保公からは大日本史を作ることを命じられ、その仕事をし、74歳のときには蝦夷(えぞ)の地図も作成しました。赤水の生まれた高萩には、墓や記念碑があり、子孫も住んでいます。