測量・地図ミニ人物伝:板屋兵四郎

「測量・地図ミニ人物伝」 

 

板屋兵四郎
(不詳-1653)

 

板屋兵四郎

 

 寛永9年(1632)加賀藩の三代藩主前田利常(まえだとしつね)は、前の年におきた大火を機会に、金沢城と城下の防火と生活用水を確保するため用水工事に着手しました。
 この工事の責任者としてえらばれたのが、用水やかんがい工事などで実績があり、そろばんと測量が得意と、ひょうばんのあった板屋兵四郎(いたやへいしろう)でした。

 

 工事に着手した板屋は、しんちょうに調査をかさね測量を行い、水の取り入れ口を決めました。
 作られた用水は、土砂のくずれやすいところなどはトンネルをつくりました。このために測量にも工夫があったと思います。また、10m進んでわずか5cmという傾斜(けいしゃ)をつけて用水を流すためには、正確な測量を行う必要がありました。

 

 測量は、夜間に提灯(ちょうちん)を上下させて、遠くからこれを観測(かんそく)して、同じ高さの点を求め、これから水路のこうばいに見合った高さを決めて工事を実施したといいます。
 この時使用された測量器は、「町見盤(ちょうけんばん)」と呼ばれる一種の水準儀(すいじゅんぎ:水平をはかる測量機械)によって測定しました。

 

 彼は、測量だけでなく土木工事の面でもすぐれた技術を使用しています。また、用水に使われた正確な石管、全体の工事をいくつかに分け、それぞれに責任者を当て、兵四郎が全体を監督(かんとく)した工事の方法などに兵四郎の高い知識と技術が見えます。